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余りにも有名な作戦なので、もう、どなたか、書き込まれているかもしれません が、ずっと疑問に思っていることなので、書かせてもらいます。 「マーケット=ガーデン」作戦が失敗したのは、オランダ人が英蘭戦争の遺恨か ら、ドイツ軍に情報を流したから、というのは本当なのでしょうか。確かに空挺 部隊が降下するところに、装甲部隊が待ち受けていたというのは、偶然では済ま されない何かがあった気がして、私はしょうがないのですが。 山家 |
アリエフ
だいいち、戦域担当の最高司令部たるB軍集団司令部は、まったくの奇襲をうけ、大慌てでアルンヘム郊外のホテルを引き払っています。
アルンヘムまたはナイメーヘンに空挺部隊がくると判っていて、戦域最高司令部がそこに位置しているのはあまりに不自然です。
その麾下でマーケットガーデン作戦迎撃に加わったSS第2機甲軍団、第1空挺軍、第15軍の各司令部も、予想はしていませんでした。
ドイツ空軍はある程度空挺作戦を予期していましたが、とにかくB軍集団司令部には取り合ってもらえていません。
とても「待ちうけていた」という状況ではないと思います。
また、SS第2機甲軍団のフルンズベルク、ホーヘンシュタウフェンの両機甲師団はそれこそボロボロの状態で、戦力にまったく余裕がない、というより、ほとんど機甲師団の体を成していない状況だったと思います。
アイントホーフェン付近でアメリカ空挺部隊を迎え撃ったのも、アントワープの西で包囲されていた第15軍の敗残兵がほうほうの体でスヘルデ湾を渡って後退してきた兵力ですし、ドイツ軍としては再編成途上のありあわせの兵をかきあつめて反撃したにすぎないのではないかと。
また、ドイツのオランダ占領政策は、とくに連合軍の大陸反攻後は苛烈を極めました。昔の遺恨より、今現在の圧制をなんとかしたくなるものではないでしょうか。
よしオランダのファシストが情報を何らかの手段で入手してドイツ軍に知らせた事実があったとしても、とにかくB軍集団はそれに対してなにもしなかったといえると思います。
SS第2機甲軍団限りの話だとしても、それにしてはいくさっぷりが拙劣です。
本当に待ちうけていたのなら、フロスト中佐の部隊は橋まで行きつくことはできなかったに違いありません。
まなかじ
に志願して、ベルリン陥落まで戦ったと聞いていたので、本当なのだと誤解して
いました。ということは、武装SSの話も嘘だったのですね。ずっと誤解すると
ころでした。どうも、ありがとうございます。
山家
この点まで嘘と決め付けるのは早計ではないでしょうか。
聞くところによりますと、ベルリン防衛に参加した武装SSの構成員はドイツ人だけではなく、こともあろうに英米人もいたそうです。
彼らが参加した理由は、ヨーロッパが共産圏になることを危惧した、ということだったそうですが、同じ理由でオランダ人が参加していたとしてもおかしくはありません。
なお、これについては『ドイツは東からの恐怖に対する砦である』的思考もあるとは思いますが。
かすた
http://www.icubed.com/~avgst1/wssdivlist.html
第23/第34SS師団がオランダ義勇兵の部隊みたいですね。
因みにえげれす人のSS部隊は捕虜の志願兵による編成が検討されたものの、
殆ど集まらなかったので中止されたというのを聞いた事があります。
(個人的連絡:サバゲでフロリアンガイエルとシャルルマーニュ師団の軍装を着ている
Hさん、家でPCを腐らせていないでここに出てきてくださーい。ここらは貴方の
領域ですよっ)
大塚好古
最初の書き込みの補足と訂正になりますが、私は、友人から、オランダでは、
親ナチ派が意外と多く、武装SS師団2個についても、1944年と1945年
にそれぞれ編成されている。いわゆる枢軸国側の敗戦がほぼ確定していた194
4年以降に2個武装SS師団が構成されていることからも、親ナチ派が、いかに
多かったか分かるだろう、と言われて、自分が調べた限りでも、そうだったので、
「マーケット=ガーデン」作戦についても本当なのかもしれない、と思っていま
した。真実と虚実とを区別することの難しさを痛感しています。
本当にありがとうございます。
山家