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「皇紀」というものは歴史上どのような扱いを受けていたのでしょうか? いわゆる戦国時代の外交文書などを見ても元号を使っていたようだし。 まつおか |
歴史上日本人の意識として、元号、皇紀、西暦はそれぞれどんな扱いを受けていたのでしょう?恐らく普通は元号を使っていたと思われますが。また、皇紀はどんな時に使われていたのでしょうか?
いつの時代についてでも良いので教えて欲しいです。
まつおか
BUN
兵器の採用年度に皇紀が使われるようになったのはいつからでしょう?
古いもの(38式歩兵銃等)は皇紀ではないですよね。
TETSU29
詳しく調べていませんが、大宝律令によって元号は皇室における公式な紀年法に制定されているのではないかと思います。
おそらく明治に至るまでの日本における唯一の公式な紀年法なのではないでしょうか?
その後、明治改元の際に一世一元(天皇の代替わりの時だけ改元)制に変更され、1947年の皇室典範の改訂に伴なって、
元号制の法的根拠は消滅しますが、1979年に再び元号法が制定され、現在に至っています。
江戸時代まで日本では太陰暦が使用されていたのですが、欧米の暦と一致させるために、
明治5年12月3日を明治6(1873)年1月1日とするように決められました。
この時、同時に神武天皇即位紀元(皇紀)も公式な紀年法として制定され、
詔勅や国書には元号と併記して使用されるようになります。
PT
手元の史料によると
38は明治三十八年で38です。
基本的には正式採用された年を冠します。
○○年式は明治31年までのものと大正時代。何れも年号
○○式明治32年から明治末、もしくは昭和2年以降。前者は年号で後者は皇紀です。
皇紀2600年は特別に百式もしくは零式になり、それ以降は下一桁をつけます。
いおーじま
(N)
いおーじま
便乗質問に回答下さりありがとうございます。
前々からちょっと気になっていたんです。
TETSU29