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終戦の日の1945年8月15日午前、千葉県九十九里浜に近い房総半島の内陸部でイギリス軍の艦載機シーファイアーと迎撃に向かった日本軍戦闘機が空中戦を行い、イギリス軍機1機と日本軍機1機が墜落しました。 イギリス軍機の搭乗員については名前や階級が判明しているのですが、日本軍機についてははっきりとしません。地元の人は茂原から飛んできた零戦で、搭乗員の名前は「田村」であったと証言しているのですが、その辺の事情について何か情報がありましたらご教示をお願い致します。 とくに、茂原に飛行場があったのか、また、そこには零戦が配備されていたのか、配備されていた場合の部隊名などご教示をお願いいたします。 TAMAR |
今、手元に(我が家に)本が無いので、後は他の方にまかせます。
ベルゼバブ
ヨリ1328990
ことは確実に思われます(本人は生還していますが)。ただし、正確を期すなら
ば、一次資料を当るべきではあるのかもしれません(秦先生の著作なので、ある
程度は信用できると思いますが)。搭乗機は、零戦52型丙の可能性が高そうです
が。
ちなみに、件の本の文庫化は1995年7月10日です。
今泉 淳
地元の人の証言では零戦のパイロットは被弾して即死であったとのこと。茂原の基地の兵士が棺桶をもってきて遺体を収容したとのことで、信憑性がありそうなのですが・・・。ちなみに、一次資料とはどのようなものを当たればよいのでしょうか?
TAMAR
杉山 光平 乙飛15期 20年8月15日、千葉上空
片
岡村 薫 乙飛16期 20年8月15日 千葉
「田村」に近いのはこちらの方でしょうか。
片
片
ちなみに「海軍戦闘機隊史」とは一般書店で購入可能な本なのでしょうか?
ご教示お願い致します。
TAMAR
片
川崎学
ところで、田村 薫と岡村 薫とは別人なのでしょうか?
それとも同一人物なのでしょうか?
後者の場合、どちらが正しいと考えればよいのでしょうか?
また、「乙飛」と「特乙」はどういう意味なのでしょうか?
初歩的な質問で恐縮ですが、ご教示のほどを。
TAMAR
TAMAR
BUN
いますが、乙16の名簿に”岡村薫”がありませんので後者が正しいと思い
ます。乙とか特乙とかは予科練の出身期を表しています。乙16期や特乙1期
であれば、実戦部隊に配属されてから約1年はたっていると思われます。
川崎学
8月15日に亡くなられた零戦のパイロットの年齢はいくつぐらいなのでしょうか?
正確にわかればありがたいのですが・・・。
TAMAR
特乙1だと少し若いかもしれません。同期生でも年齢には差があるので
正確に調べるのは難しいのでは、と思います。
川崎学
茂原基地は現在の茂原駅北方、三井東庄化学の工場を中心とする一帯にありました。この三井東庄化学の東側の直線道路と、この道路の北端でT字型に交差する道路が当時の舗装滑走路(北側の滑走路は当時の舗装面残存)で、田村一飛曹(上飛曹は戦死による昇進と思われます)が8月15日朝に飛び立ったのは恐らく三井東庄化学東側の直線道路からだと思われます。
滑走路以外にも、基地北方にはコンクリート製掩体壕が10数基残り、そのうちの1基のそばには茂原市によって説明板が立てられています。また、基地北西の丘陵には基地の付属施設としてのトンネルが掘られています。
機会があったらご案内しますが。
ヨリ1328990
先日、墜落現場へは地元の方々の情報によって行って参りました。零戦の残骸はしばらくは近くにある長南西小学校に置いてあったそうです。
その後は防空壕にいれられ、埋められてしまったとか。近くまで行きながら不勉強で惜しいことをしました。なお、当方の職場の近くにも大正飛行場の掩体壕が1基だけ残っていますが、風前のともしびです。ちなみに発掘調査でも1基が確認されています。
TAMAR
ヨリ1328990
TAMAR