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日本海軍で乙事件は古賀長官遭難事件、丁事件はトラック空襲、では順番の抜けている甲と丙事件は 何でしょうか?また戊以下の事件があれば教えてほしいのですが。 源五郎 |
無限
甲事件って、山本長官戦死の事でしたか。ひょっとしたらとは思ってましたが、調べた範囲では一言
も出てこなかったんで判りませんでした。
源五郎
事実でありますが、小生勉強不足もあり本事件を「甲事件」と称する旨の
きちんとした記述はまだ見たことがありません。ちなみに、「甲」の由来は
、南東方面艦隊司令長官発の機密第一八一四三〇番電(発信者 共符 着信
者 大臣 総長)の本文の冒頭に「甲第一報」とあり、また文末に「本電関
係ハ爾後甲情報ト呼称シ」云々とあり、これら「甲」に依るものと想像して
おります。ちなみに、この電文は阿川弘之「山本五十六」にも出てくるもの
です。
何故このようなことを書くかというと、「乙事件」のほうは、古賀聯合艦隊
司令長官遭難の直後(昭和19年4月2日)に、軍務局第一課において「乙
事件ニ関スル覚書」なる文書が起案され、冒頭に「本事件ニ関シテハ『乙事
件』『乙情報』等ト呼称ス」等とあり、山本長官機撃墜の際は「甲情報」な
る呼称が現地最高指揮官から発せられたのに対して、古賀長官遭難の際は中
央のほうで呼称を決めたかのように考えられ、若干呼称に周辺に関する事情
が違うように思われるからです。
さて「丁事件」ですが、これはトラック被撃の件を指すことは既に質問にも
ある通りですが、本件は事後に大森仙太郎少将を長とする調査員計3名によ
って現地部隊に対する戦訓調査が行われておりますが、トラックの空襲が2
月17日であり、本戦訓調査の発端が「中沢ノート」の記述から3月5日以
後であると考えられ、調査員は3月下旬に出発、約一週間の滞在と予定され
たとありますので、概ね4月上旬には復命したものと考えられます。
私が思うに、出発に際には既に「丁事件」と呼称されていたのではないかと
思います(ここは小生の独断ですが、山本善雄軍務局一課長起案の「丁事件
調査員派遣ノ件」なる文書も存在するらしいので、恐らく正しいのではない
かと邪推しております)。一応それを前提とすれば、4月2日に呼称が決まっ
た「乙事件」よりも以前に既に「丁事件」の名称で呼ばれていたことになりま
すので、これは別段「甲,乙、丙、丁」の順番とは関係無くつけられた名称で
ある可能性を示唆します。
ただ一方で、「丁事件」ではなくて「T事件」と表記する文献もあるので、や
や判断に苦しむところではありますが(誤植の可能性があるので、それを調べ
る必要があると思ってますが)、「丙事件」なる事件の存在を寡聞にして存じま
せんので(単なる無知かもしれませんが)、取り敢えずは「甲」「乙」の順序と
は無関係な名称なのではないかとも考えています。
今泉 淳
事件の順序については、乙事件と丁事件の発生日付から??とは思ってたんですが、甲乙丙という
文字をみると順番と思ってしまう習性が身に付いてるもんで、つい丙や戊があるんだと・・・。
源五郎