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409 日本海軍で乙事件は古賀長官遭難事件、丁事件はトラック空襲、では順番の抜けている甲と丙事件は
何でしょうか?また戊以下の事件があれば教えてほしいのですが。

源五郎

  1. 海軍「甲」事件は、山本長官機撃墜事件です。
    無限

  2. 無限さん、回答ありがとうございます。
    甲事件って、山本長官戦死の事でしたか。ひょっとしたらとは思ってましたが、調べた範囲では一言
    も出てこなかったんで判りませんでした。

    源五郎

  3. 「甲事件」が山本聯合艦隊司令長官機撃墜事件であることは良く知られた
    事実でありますが、小生勉強不足もあり本事件を「甲事件」と称する旨の
    きちんとした記述はまだ見たことがありません。ちなみに、「甲」の由来は
    、南東方面艦隊司令長官発の機密第一八一四三〇番電(発信者 共符 着信
    者 大臣 総長)の本文の冒頭に「甲第一報」とあり、また文末に「本電関
    係ハ爾後甲情報ト呼称シ」云々とあり、これら「甲」に依るものと想像して
    おります。ちなみに、この電文は阿川弘之「山本五十六」にも出てくるもの
    です。

    何故このようなことを書くかというと、「乙事件」のほうは、古賀聯合艦隊
    司令長官遭難の直後(昭和19年4月2日)に、軍務局第一課において「乙
    事件ニ関スル覚書」なる文書が起案され、冒頭に「本事件ニ関シテハ『乙事
    件』『乙情報』等ト呼称ス」等とあり、山本長官機撃墜の際は「甲情報」な
    る呼称が現地最高指揮官から発せられたのに対して、古賀長官遭難の際は中
    央のほうで呼称を決めたかのように考えられ、若干呼称に周辺に関する事情
    が違うように思われるからです。

    さて「丁事件」ですが、これはトラック被撃の件を指すことは既に質問にも
    ある通りですが、本件は事後に大森仙太郎少将を長とする調査員計3名によ
    って現地部隊に対する戦訓調査が行われておりますが、トラックの空襲が2
    月17日であり、本戦訓調査の発端が「中沢ノート」の記述から3月5日以
    後であると考えられ、調査員は3月下旬に出発、約一週間の滞在と予定され
    たとありますので、概ね4月上旬には復命したものと考えられます。

    私が思うに、出発に際には既に「丁事件」と呼称されていたのではないかと
    思います(ここは小生の独断ですが、山本善雄軍務局一課長起案の「丁事件
    調査員派遣ノ件」なる文書も存在するらしいので、恐らく正しいのではない
    かと邪推しております)。一応それを前提とすれば、4月2日に呼称が決まっ
    た「乙事件」よりも以前に既に「丁事件」の名称で呼ばれていたことになりま
    すので、これは別段「甲,乙、丙、丁」の順番とは関係無くつけられた名称で
    ある可能性を示唆します。

    ただ一方で、「丁事件」ではなくて「T事件」と表記する文献もあるので、や
    や判断に苦しむところではありますが(誤植の可能性があるので、それを調べ
    る必要があると思ってますが)、「丙事件」なる事件の存在を寡聞にして存じま
    せんので(単なる無知かもしれませんが)、取り敢えずは「甲」「乙」の順序と
    は無関係な名称なのではないかとも考えています。


    今泉 淳

  4. いつもながら詳しい考察、ありがとうございます。
    事件の順序については、乙事件と丁事件の発生日付から??とは思ってたんですが、甲乙丙という
    文字をみると順番と思ってしまう習性が身に付いてるもんで、つい丙や戊があるんだと・・・。

    源五郎


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