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素朴な疑問なんですが、「あ」号作戦前、小沢機動部隊はタウイタウイで一ヶ月も飛行訓練を行なえなかった(2回くらいはできたんでしたっけ?)のに、それについて艦隊首脳部は危機感のようなものを持たなかったのでしょうか。もっと早く、他の場所で飛行隊だけでも訓練はできなかったのでしょうか? Ms-09R |
BUN
Ms-09R
悪くはありません。というより良い部類に入るのでは。
tackow
6月6日に艦隊司令部は「飛行隊の訓練をしたいのでギラマス(フィリピン中部)に移動したい」と連合艦隊に通知し、6月13日に移動することが決まっていたようで、全くのほほんとしていたわけではなさそうです。
また、整備員、予備機材の問題等もあり、このとき訓練が必要だったと思われるのは母艦での総合訓練と考えられますので、他のところで飛行隊だけと言うわけには行かないと思います。
タウイタウイが封鎖されたのも、”乙事件”のチョンボ(当時米軍に押収されたとされる資料には各隊の訓練状況、機動艦隊の集結地点としてパラオ、タウイタウイがあげられている)もかなりありそうと思うので、機動部隊司令部に全責任を求めるのは酷かな〜、と思っています。
搭乗員の練度については諸説あると思います(理由は個人によって尺度に違いがあるため)。機動艦隊について私の調べた範囲ではかなり若返ってしまっていて、特に戦闘機隊若返り方が目立ちます(全部を調べきっているわけではないのですが、ろ号作戦時に比べても)。人材の枯渇は致命的となっていたのでは、と推察しますが、それに作戦の失敗を求めるのはこくと思います。
圧倒的な兵力差が根本的な原因で、当時の日本海軍兵力をもってではまともに交戦するのは困難であったろうな、と考えています、あくまでも一個人の考えですが。
川崎学
語っています。これが全てと言うわけではないですが、一面は示していると思います。
ぼるた
進藤氏の発言も見たことありますが、そのほかにもアウトレンジで失敗した、という記述を見ることが出来ると思います。しかし、少なくとも私は納得出来る理由を言及しているものは見たことがありません。
たとえば、653航空隊はちゃんと編隊を組み、予定した地点に到着して激しい迎撃を受けています。652航空隊にしても、2群に分かれましたが米軍の資料によると、攻撃隊は司令部の指示通り到着しています。攻撃の不成功をアウトレンジに求めるのは難しいと思います。
601航空隊は、1次攻撃隊について出発時から中隊ごとの編隊しかくめなかった、とかのろのろ編隊を組んでいてイライラしていたとか証言がありますが、前衛通過時までそれなりにまとまっていたと推測出来ます。前衛の射撃を受けた後、艦攻隊がいなくなった、自分の中隊以外いなくなった、と証言がありますが戦闘詳報にも一部艦攻隊がここで分離してしまっているので、ここでかなりバラバラになったと推測しています。そして、CAPの攻撃を受ける訳ですが零戦がどれだけ直掩出来たかはかなり疑問に思っています。艦爆隊の生存者はどんどん墜落していった、周りには零戦隊は見えず激しい攻撃を受けた、気がついたらまわりで零戦や僚機が敵戦闘機と交戦していた、という証言を残しています。
2次攻撃隊は大鳳の魚雷命中によって、指揮系統に乱れが生じて集団行動が出来ず、失敗に終わりました。
攻撃隊が攻撃不成功に終わった理由ですが、私は敵の激しい迎撃にあったと考えています。”七面鳥狩り”についてはいろいろ言われてますが、私は米軍にしては正確なほう(2〜3倍になっているような気はしますが)と考えています。それはわずかながらの日本側証言と、実際に敵艦船までたどり着いた機の米軍の記録等を考えると納得がいくからです。むろん、米軍が完璧とも思いませんが、2航戦の彗星隊は奇襲に成功してますし。
川崎学
基地で整備、交代、訓練等に明け暮れており、特に
マリアナの前 18年当時では他に訓練するべき
燃料が豊富で、安全な場所の確保など、おぼつかなかったと
思われます。
そして、彼我の技術、戦術、実戦経験にそこまで差があるとは
1航艦の上層部もまったく気づいておらず、その意味では
我々が今危惧するほどの心配は無かったでしょうね。
FUL
が)その後の南太平洋海戦もそれ程の練度では無かったのかもしれません。
こうしてみると、「これでよし」と機動部隊が出撃した例が少ないのでしょう
か?
tackow
ことがありません。が米軍側も飛行時間ではそれほど日本と変わらないのでは?
という話も聞いたことはあります。あれば見てみたいですね、そういう研究。
それはともかく、基地航空隊との連携が鍵になっていたはずで、機動艦隊単独では
さすがに勝てない、と思っていたはずですよ(この辺は戦史叢書がうまくまとめて
います)。
訓練地は瀬戸内海でやるのが理想です。機材、人員の手配が容易なため、リンガに
て実施するより効率的です、燃料の点をのぞいては。したがって、機動艦隊司令部
は内地にての訓練を望んでいました。
マリアナ沖海戦の証言は本当にいろいろな方が証言されていますが、”その人の
立場””相手への感情””同じ様な証言があるか”等を考慮して考えるのが良い
のではないか、と思ってます。
川崎学
を借りるようだったようです。治安はよろしくないのですが。
川崎学