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どうして第一次世界大戦ではただ一度の会戦で敵味方数十万人近い死者が出たのですか?日露戦争でもかなりの激戦が繰り広げられましたが、 この戦争で一気に死傷者数が上がったような気がするのですが。 茶太郎 |
化学兵器や機関銃といった殺戮兵器に対して、将軍たちは旧態依然の戦法に固執して大損害を招きました。
やや経験を積んできても、こんどは機動手段の古さがそれの100%の応用を許しません。
機関銃と砲兵と塹壕で防御線を張る敵陣に、化学兵器で穴をあけて突破しようとします。攻撃側は、大損害を出しながらも突破口を開くところまでは行けるのです。
しかし、攻撃側はそこからの進撃の手段が徒歩(またはそれに準ずる速度の移動手段)しかなく、砲兵の追随も、野砲では火力不足ですし、重砲は攻撃準備陣地からの移動を待ってから、と、戦線突破後の機動力は非常に鈍いのです。
対する防御側には、その防衛線にまで達する鉄道網があり、それによって急速に各種兵力を集中して、攻撃側の運動を上回るスピードで、攻撃側の意図を粉砕すべく布陣することができます。
あっという間に攻守はところを替え、防御側の反撃開始となります。攻撃側は旧陣地まで押し戻されますが、ここには、攻撃側が既設の鉄道網があり…またまた攻守はところを替え、今度は防御側が大被害を出して停止。
疲れ切った両軍は中休みをとり、戦力を回復したら、またこれをやる、ということを一生懸命に繰り返していたのです。
もちろん、不断に既存兵器の改良はなされ、戦車や飛行機といった新兵器も投入されますが、鉄道の存在が軍隊の進撃速度と機動性を左右する決定的要因であった点には変化がなく、これが第一次大戦の、特に西部戦線での各会戦の基調をなしています。
日露戦争では、確かに化学兵器以外の部分ではほぼ第一次大戦と同じような兵器で戦いましたが、その鉄道網による防御側の決定的優位という要因がありません。
第一次大戦でも、バルカン方面やメソポタミア方面などの支戦線では、日露戦争とほぼ同じような戦い方で会戦が行なわれています。
まなかじ