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海外では、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、毛利元就、伊達政宗などといった戦国武将の評価はどうなっているのでしょうか? ぱるぱる |
BUN
その他については、一応キリシタン文書でローマ教皇庁へ紹介されています。中公文庫で「完訳フロイス日本史」が出ています。日本史を他国人の目から見たという点で、ひじょうによい資料です。それを受け取ったヨーロッパの方で、各武将への一定の評価を持ち得たかどうかは分かりません。
片
義弘は当時の朝鮮軍に「鬼石曼子」とまでいわれて恐れられてますし
秀吉については暴虐な独裁者、ってところだと思います
あちらのテレビドラマでは李舜臣を主人公にした物があるそうです(当然日本軍が悪役・・・侵略者だしなあ)
まあ、どっちにせよ評判はよくないはずです
非戦闘員の虐殺したりしてますし・・・(鼻塚など)
ice
理由はおそらく以下の通り。
1)事実上の一王朝の創始者であること(信長はその前の段階で滅びましたし、秀吉は一代で絶えたし、その他は論外)。我々が外国史の暗記をするときでも長期間続く王朝の創始者からになるのと同じ。
2)ジェイムス・クラベル「ショーグン」の影響がいまだにあり、「ヨシイトラナガ」を「トクガワイエヤス」だと思っていること。
3)日本における最大の戦闘としての「セキガハラ」はそれなりに有名(関ヶ原合戦のゲームを作るアメリカ人がいたりする)で、その一方の旗頭だから。
カンタニャック
いおー
上記5人の個性、人気等はほとんど、フィクションによって創り上げられたものですから、歴史上の人物としての評価は全く別のものでしょう。ですから日本の戦国武将の世界史的な評価というものは、今までにも無いし、今後も無いでしょう。
BUN
aaa
http://www.wsu.edu:8080/~dee/TOKJAPAN/ODA.HTM
sharman
ieyasu 269サイト
hideyosi 17サイト
nobunaga 2サイト
motonari 240サイト おお!
masamune 3サイト ただし、一つは日本酒サイト もう2つは攻殻機動隊サイトでした。
以上
カンタニャック
BUN
片
「もとなり」さんは今でも結構多いと言う事があるみたいです
その他の4人の名前はあまり現代では使わないですから
それを除いても妙に多いのはNHK大河の放送が比較的最近なのが原因かもしれません
>9
hideyoshi
なら1000件でますね
ice
バトゥ
バトゥ
一部をチェックしただけですが、iceさんのおっしゃる通り他のモトナリさんがかなりいらっしゃいます。
日本出身でアメリカの医科大学で助教授をしているウエスギモトナリさん(ホント)とか、オリンピック柔道のイナバモトナリ選手とか、You're under arrest!(「逮捕しちゃうぞ」)の声優フジイモトナリさんなどです。
加えて広島・山口の自治体等のHPは英語版をしっかり作っているものが多いようです。また、これもice さんのご指摘にあったNHK大河ドラマ関係のHPもありました。
>12 おはずかしい。hideyoshiですね。
ところで、いまヤフーUSAでhideyoshiをサーチすると、1000件という結果と365件という結果がランダムにでました。また、ieyasuも昨日は269件でしたが今日検索したら1000件と出ました。
検索初心者だから何かミスしているのかも知れません。ヤフー検索のシステムってどうなっているのかなあ。
もう一点、いくらなんでもnobunagaが二件(しかも二件とも、nobunaga.devil.という楽しいサーバーネームを持つイギリス在住の日本人の方)、どう考えてももう一寸あってもいいと思うんですが…。ヤフーは信長に恨みがあるのか?
カンタニャック
有効活用→(例の疑問出まくりの)三段撃ちの間違いでした。同時期のオランダ軍よりも採用が早かった、ということらしい。
バトゥ
(GO TO WEB PAGE MATCHES)と言う所を押せば79件出てきます
アメリカでも「信長の野望」は出ていて「Nobunaga's Ambition」と言うタイトルのようです
それでも「モトナリ」と比べて少ないような気はしますが・・・
ice
なるほど、iceさんありがとうございます。
カンタニャック
結論からいうと、大悪人も大悪人です。特に秀吉は。
過去の事実を忘れるべからずな朝鮮半島伝統のお国柄もあるんでしょうが、現在に至るまでのかの国の反日感情の大半は豊臣秀吉が責を背負ってるのが事実です。
豊臣秀吉が「戦功は耳と鼻を削いで送るべし」としたものだから、そこかしこで市井人を殺して耳と鼻だけ送るのが大発生(個人的には、大物武将はそんな命令はしてないと信じたいですが)。朝鮮の人口は、戦後には6分の1に激減してしまったということです。これでは忘れろというのが無理というもの。
島津義弘に関しては、「鬼石曼子」と称された泗川の戦い(朝鮮20万対島津5千、戦功7万数千で朝鮮側20里撤退)で評価されることはあまりないです。
薩摩焼を作るために陶工100人以上を捕虜にして連れ帰ったこと、李舜臣が戦死した海戦でも前線で戦い、かつ戦功を残してることでもう評価は確定して、純粋に戦術家として評価されている例は見たことないです。
国内で戦術も人格も評価が高い義弘ですが、韓国ではそれ以前の問題ということですね。
島津家は極めて正確かつ良質な資料の残っている守護・戦国大名として研究筋では有名ですが、それでも韓国はじめ海外においてその独特かつ優秀な戦術や、ましてや人格などについての考証は見たことがないです。
信長、秀吉、家康が話題になることはあったとしても、それ以下が話題になることは資料の質を考慮に入れてもあまり考えられないでしょう。
前述の島津家の資料にしたところで、戦功に関しては表記の1〜2割減ぐらいで推し量るのが常識になってるようです(笑)。
余談ですが、鉄砲伝来からの異常なほどの普及速度と、その用法の習得の速さで当時の日本人の革新思考かつ工業力を高評価した海外の文書は目にしたことがありますよ。
オナカ
ペンギン