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連打失敬 バルバロッサ作戦は大変な規模で実施されたわけですが、あれだけの作戦・動員に対し ソヴィエトがまるっきり無策だとは考えられません。当時ソヴィエトはドイツに対して どのような軍事ドクトリンを有していたのでしょう? ソ連側からの先制攻撃などは不可能 だったのでしょうか? まるき |
まさかヒトラーがこんな壮大な(無謀な)二正面作戦を行うとは思わなかったということでしょうか。また大戦直前に陸軍の主力将官を大々的に粛正しちゃっているので、作戦立案能力なんかも最低になったタイミングでドイツに攻め込まれてしまったわけです。
ドイツの指導者がヒトラーでなければ独ソ戦は起きなかったかもしれませんが、同時にソ連の指導者がスターリンでなければ緒戦であれほどのボロ負けはしなかったかも知れませんね。
zarya
不満を持つ人間があまりにも多くていつ反乱が起こってもおかしく無かった。
赤軍大粛清なんてやったのはもう国をあげての猜疑心としか思えないが、
地方の有力な人材は殺してしまい、代わりにモスクワの言いなりになるだけの
無能な者を据え置くってのは、ソ連が東欧などで傀儡政権を作るにあたって
よくやってきたこと。要するに外からの侵略者よりも内乱鎮圧が優先だったのだ。
毛沢豚
確かに、スターリンはドイツが全面侵攻してくることは無いと信じ込んでおり、そのため対応が後手に回ると共に、彼が前線部隊に退却を許さず各個撃破されてしまったこと、それにトハチェフスキーなど有能な将校の粛清が、独ソ戦当初の敗北の原因だろう。しかし、独ソ戦開始以前、ソ連がドイツの拡大を防ぐための限定的な予防戦争のプランを考えていたことは、十分可能性があり、そのために数量的にはドイツを上回る位の大軍をこの方面に配備していたのだろう。
アリエフ
クニッケバイン
毛沢豚
ヴェルナー・マーザー著、守屋純訳、定価3500円。
と言う本が出ているようです。買ってはいないので感想は申し上げられませんが。
同じく学研から出ている
「赤軍大粛清 20世紀最大の謀略」
ルドルフ・シュトレビンガー著、守屋純訳、2136円。
と言う本もご参考になるかもしれません。
便利少尉
ソ連の軍事ドクトリンは世界革命の実現のためにジェミニ学派の攻勢主義と国土防衛にためにロイド学派の地形主義の2つを基幹としました。ト元帥が指導する赤軍は20年代からラパロ条約や第1次、第2次国防5カ年計画で国境線の防衛体制の確立と軍の近代化を行い、30年代中頃には攻勢主義的な組織が編成され攻防一体の縦深突破戦略が確立されますがト元帥らは粛正され、一部では改善の動きもありましたが全体としては大粛正によって発生した軍事ドクトリンの空白状態は埋められず独ソ開戦となります。
ふじい
スターリンはドイツの対英戦の経過やヒトラーからの直接会談の申し入れから1942年まで攻撃は無いと考えていたようです(と、言うよりあって欲しくなかった)。ソ連進行は春で無いと不可能ですがドイツ進行は季節を選びません、だからスターリンはユーゴに工作員を送ったりして41年春の開戦を避けようとしています、前線には「敵の挑発(偵察行動等)に答えるな」とか「敵が攻撃して来たらあらゆる手段を用いて和平の申し込みを行うように」などという命令が送られていたようです。41年の開戦を嫌った理由としては上で皆様が書いておられる通り粛正による指揮官不足が原因だと思います。
これは僕の想像ですがあしか作戦発動時か42年始め(ソ連攻撃が可能になる前)にドイツを先制奇襲攻撃するつもりだったのだと思います。
スターリンは我が闘争の内容やヒトラーの共産主義嫌いからして独ソ開戦は避けられないものと考えており、当時の赤軍は先制攻撃を想定した攻撃用の軍隊だった(世界革命の為の軍隊ですからね)ことや、電撃戦を防ぐには先制攻撃しかないと思われた事から41年始めから、対独国境に大規模な兵力集中を行っています(あくまで集中であり戦争準備は行われておらず、この事が損害を大きくした)
また国境のすぐそば(敵から見える位!?)に飛行場を建設していたと言うのも先制攻撃を想定してのことだと思います。
早い話がスターリンは自分の計画通りに事が運ぶようにのみ努力を注いでいました、準備不足と言うより認識不足ですね。
ごまめ