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パンツァーに載っていたのですが、プロホロフカ戦車戦は架空だったと言うのは本当ですか? 後藤仁氏は、1700両の戦車が戦ったとの定説はソ連の戦史を元にした間違いで、実際は100両前後だったとしています。 パウル・カレルみたいに緻密に調査する人でも1500両の戦車が戦ったと書いていますし、どうも信じられないのですが。 ms |
パウル・カレルの著書もこの道では歴史的な名著なのですが、既に三十年も前の本であり緻密とは言えないところも出てきています。ご自身で関係の書籍を当たってみてはいかがでしょうか。
BUN
多くの事実が明らかとなったことが記されています。
当然ながらまだ翻訳されておらず、500ページ近くのほとんどが文字だけとのこと。
最近よく語られている「プロホロフカ戦車戦の真相」も出典はコレでしょう。
もっとも私は読んだことがありませんから、憶測で書き込んでおります。
KI-100
どうでした?
BUN
バトル オブ クルスクですが、予約はしたんですが、まだきてないんですよ。
まあ、あまり英語は得意ではありませんが、心の隙間を埋めるべくばんばりたい
とおもいます。
プロホロフカ戦車戦については、ドイツのSS第2機甲軍団は750両の戦車、自走砲
ソ連の第5新鋭戦車軍は850両の激突なんてことはなく。
この数字は、ソ連側の一方的な発表なのでまず嘘です。
ソ連の戦車数については、3個戦車軍団と、1個機械化軍団とかなり増強されていますので、850両という数字も、定数的には信頼におけますが、ドイツ側の数字は、
当時の機甲師団(このときは3個師団ともに名称上は機械化師団で、後に機甲師団
となりますが、実質は機甲師団です。)の状態を考えますと、とても定数てきに見ても、750両もあるわけありません。しかも実働ですと、260両なんて数字もあります。また直面して戦ったSS第一機械化師団LAHについては、12日以前の戦闘もあったので90両前後ではないでしょうか。
つまり、架空ではなくドイツ側の規模が小さく、また損害も小さいということだとおもいます。
ソ連側の言い分だと、ドイツの最精鋭部隊と互角の勝負をしたとのことですが、
本当は、かなり損害の多い戦いであったわけで、戦後のことを考えるといつまでも
大本営発表を残して、自国の威信、軍事的威力を誇示したかったんじゃないでしょうか。だって弱いともったらつけこまれるし、また戦中に被った莫大な人的損害(最近では4000万人なんんていわれています。)のこともあり、1960年代ぐらいを考えてみると、あんまりやばげなことは発表できなかったんじゃないかとおもっています。(う・・・あんまりかってなこといってるとBUNさんにおこられる・・・)
バウアー中尉
と、某書を読まなくても常識で判断できる類の問題であるということだと思います。
BUN
この本はカレルの著書や公刊戦史を参考にした上で書いているので、まんざら今までの定説が間違いというわけではないと思います。
実際に600両くらいは参加したけれども、故障が多くて実動数は大幅に少ない、ということだと思います。
しかし、このパンツァーは手元にあるので確かめたのですが、気になる点がありました。
プロホロフカにはアドルフ・ヒトラー師団しか投入されず、その戦力は自走砲を合わせても100両未満・・・
との記述があるのです。
これが正しいなら、さらに3分の1になるので、単純な定数と実動数との差ではなくなります。
残りの2師団は戦わなかったという事になります。
カレルはドイツ兵にも取材したはずですよね?
いくらなんでも戦った本人がソ連の戦史に惑わされる事はないと思いますが・・・
その要所では論拠はどうなっているのでしょうか?
気になるところです。
J
この本はカレルの著書や公刊戦史を参考にした上で書いているので、まんざら今までの定説が間違いというわけではないと思います。
実際に600両くらいは参加したけれども、故障が多くて実動数は大幅に少ない、ということだと思います。
しかし、このパンツァーは手元にあるので確かめたのですが、気になる点がありました。
プロホロフカにはアドルフ・ヒトラー師団しか投入されず、その戦力は自走砲を合わせても100両未満・・・
との記述があるのです。
これが正しいなら、さらに3分の1になるので、単純な定数と実動数との差ではなくなります。
残りの2師団は戦わなかったという事になります。
カレルはドイツ兵にも取材したはずですよね?
いくらなんでも戦った本人がソ連の戦史に惑わされる事はないと思いますが・・・
その洋書では論拠はどうなっているのでしょうか?
気になるところです。
J