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1942年に始まった蘭印攻略戦のときの メナド空挺部隊の戦果や司令官、使った航空機の数や種類などを教えてください 富嶽 |
三十数機使用したという記述があります。堀内豊秋部隊長と書かれているので、
この人が大隊長でしょう。セレベス島ミナハサ高地、ランゴアン飛行場周辺を
制圧し、トンダノ湖畔カカスも占領。目的は達成しているようです。
ただし損害も多かった様子。
KI-100
以下、資料の丸写し。
降下した部隊は横一特(横須賀鎮守府第一特別陸戦隊)で、指揮官は同上の堀
内豊秋中佐。航空機の所属部隊は第十一航空艦隊の輸送機隊(部隊名判りません)
で、隊長は森富士雄少佐。
降下作戦は1月11日に第一次降下部隊(輸送機27機。第一、第二中隊基幹
の334名)、1月12日に第二次降下部隊(輸送機18機、第三中隊74名)
がそれぞれランゴアン空港に降下。降下時に敵機銃掃射によって被害多数も、程
なく制圧。
ランゴアン市街は敵の戦意も乏しく、12日の午後には占領。
戦果は同時に上陸した陸戦隊の分と合わせて。遺棄死体140、捕虜48、捕
獲品8センチ砲10門、機銃、小銃他多数。
横一特の損害、戦死32、戦傷32。
後日談として、メナド攻略は我が軍初の空挺作戦だったのですが。陸軍もパレ
ンバンで空挺作戦を控えていたために、海軍に対して「発表を差し控えて」と頼
んだところ、海軍も太っ腹な所をみせて了承し。結局、メナド攻略作戦が大本営
から発表されたのが、2月15日の1700、パレンバン攻略作戦が発表された
のが同日1710でした。
言われる程、仲が悪いのではないんですね。
tackow
このパレンバン空襲作戦の大本営発表というのが――
小学館の「日本20世紀館」の初刊付録についています。
玉音放送、東京オリンピックの放送、平成おじさn
FIX
親が買ってきたんですが――1万円は高いですね。
FIX