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301 軍人たちが短髪を好むようになったのはいつ頃でしょう?長髪が作業や戦闘で邪魔になるのは古今東西共通だとおもいますが。
矮鶏

  1. 我が国の武士の場合、髪が兜のクッションとして利用されていたので、兜をかぶるためには長髪がベターだったようです(僧兵などもいますから、ハゲでは兜を被れないというわけでもないようですが)。ついでにいえば武士が月代(さかやき=頭の前から頭頂部)を剃るのは、兜を被ったときに蒸れないためだそうです。

    ヨーロッパのことはよくわかりませんが、中世の騎士なんかは結構長髪ですね。

    一つの仮説として、こういうのはどうでしょうか。
    兜(ヘルメット)を被ったとき、長髪はクッションになる。短髪は頭が蒸れることを防ぐ。
    剣や棍棒、槍などで、兜の上面に打撃を受ける危険が高かった時代は、長髪優勢。
    兜への打撃の危険が少ないか、髪のクッション効果があまり意味を持たない兜側面への銃弾の防御が重視される時代には、蒸れ防止のための短髪優勢。

    カンタニャック

  2. 散髪について検索して調べてみたら、日本で始めて月代を剃ったのは織田信長で意外と新しいようです。短髪の普及は散髪用具の発展とかなり関係が深いと見ていますが。剃刀、西洋はさみ、バリカンの順に発明されてきているわけで、19世紀バリカンの発明により、刈上げが素人でも簡単にできるようになったため、短髪が主流になったのでは。
    アリエフ

  3. >2
    月代剃りについてですが、信長よりもう少し遡れるのではないでしょうか。

    平凡社世界百科大事典の「髷」の項にはこうあります。
    「また鎌倉時代からは,額から頭頂にかけて髪を円く剃りあげる月代(さかやき)の風習も武家の間で広まった。この形の起りは諸説あるが,戦場で冑をかぶるおりに熱気がこもるためというのが定説になっている。」

    太平記(14世紀後半には成立)には大塔宮の熊野落ちで、山伏に扮したが「さかやき」でばれるというシーンがあったはずです(記憶モード故やや自信なし)。

    また、後期倭寇についての中国側資料は、倭寇の特徴として「頂前剪髪、椎髷向後(前と上の髪を刈り、横と後ろの髪を結う)」「こん髪薙頂(あたまの上を剃る)」などを挙げ、月代を日本人倭寇を判別するポイントとしています。後期倭寇ですと時代的には信長の少年・青年時代と重なりますが、両者のあいだに関連はないでしょう。

    おそらくその記事は、信長が冠、烏帽子を被らないで月代と髷を露出する、露頭・月代髪のパイオニアだったことをいっているのか、あるいは戦争のための実用としてではなく、ファッションとして月代を剃ったという事かも知れません。

    バリカンが近代軍隊の短髪を可能にしたというのは卓見!
    シラミやらノミやらを忌避する衛生思想も、
    バリカンという兵器…じゃない装置がなければ、有効に機能しない。
    なるほど。
    カンタニャック

  4. 雑学ついで。今や過去の学生服となりつつあるセーラー服が海軍水兵の制服に由来することは広く知られていますが、では何故あの四角い襟なのか?とゆうと、帆船時代に入浴も散髪もしない(できない)水兵達は脂ぎった髪を長く垂らしており、これが服を汚すのを防ぐためにハンカチを襟に巻いていたのが発祥なのだそうです。
    http://www2.inforyoma.or.jp/~sory/Q%26A/answer/Q-14.html
    ささき

  5. 平凡社「世界大百科辞典」によると
    織田信長以前の月代は、毛抜きで頭頂部の毛を抜いていたそうです。
    よって、平素は総髪で、合戦時のみ毛を抜いていた由。
    僧侶のみの行為であった。「カミソリで頭を剃る」行為を
    武士で初めて行ったのが織田信長だそうです。
    無頼庵


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