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国家社会主義と社会主義の違いについて教えてください。 made for you |
この最広義の社会主義の中にファシズム、ナチズムといった「国家社会主義」も入るわけだが、ソ連の「マルクス・レーニン主義」のように完全な計画経済化までは意図しないものの、ソ連型の全体主義的な国家・経済運営手法をかなり導入し富国強兵を図る、そして民族国家による団結・勢力拡大を強く主張するのが特徴でしょう。
ところで、関心があればロシア革命以降、30年代のナチス台頭に至るまでのワイマール・ドイツの政治史に関する本を読むといいでしょう。勢力拡大を求めるソ連共産党がコミンテルン(第三インターナショナル)を通じドイツ共産党に対しナチスと歩調を合わせるような指示を出しており、同床異夢的な状況だった。もちろん、第二次大戦後、ソ連は「国家社会主義」を資本主義の堕落した非民主的体制であり、自国の非常に「民主的」な社会主義(共産主義)とは全く別物と言っていたが。
アリエフ
ドイツ語読みにしたものが「ナチズム」って聞いたんですがこれは正しいんで
しょうか?ナショナリズムとはどういうもんでしょうか?
taka
「ナショナリズム」とは別にマルクス・レーニン主義のような特定の思想に基づくものではなく、世界各地に見られる民族や国家としての自立性を求める運動と考えた方がよいでしょう。ただし、この言葉も様々な意味で使われることがあり、自国中心主義や愛国心高揚運動を指して使われることもある。こうした言葉は時代や用いる人間によって様々な使われ方をするので、注意が必要です。
アリエフ
made for you
Schump
ナチスはNazisと綴り、これはNationalsozialist(国家社会主義者)の略称
であるNaziの複数形です。
PT
イギリスでは融和主義的なフェビアン協会が主流。
イタリア、フランスではアナーキズムに連なる労働者自主管理型社会主義者が主流。
マルクス主義は、ドイツとロシア、ポーランドで主流を占めていました。
第1次世界大戦の勃発とともに、各国の社会主義者はこれを祖国のための戦争と認識し、次々に戦争支持の立場を発表しました。このときドイツで生まれたのが、戦時の動員体制こそ理想の社会主義そのものであるという国家社会主義の思想です。
国家社会主義の理念をひとことで言えば、国民の労働が資本家の利益のためでなく、国家の利益のために一糸乱れず組織されなければならないという思想です。労働者=国民=国家なのです。
これに対してレーニンは、社会主義者の戦争賛美に反対し、全ての帝国主義国家を廃絶するための戦いを宣言します。結果としてレーニンはこの戦いに勝利して、ロシア帝国は崩壊しました。
その後のロシアでは、革命の防衛のためにスターリンが一国社会主義の政策を打ち出し、ソ連内部でも労働者は国家のために組織されるようになりました。ですから第2次大戦のときには、労働者=国民=国家である点では、スターリンの社会主義もナチスドイツの国家社会主義も同じようなものだったのです。
ただしドイツでは国家社会主義をかかげながらも私企業は温存されたままであったため、戦時の総動員態勢が確立されたのはかなり戦況が不利になってからのことでした。それまではメッサーシュミットもダイムラーベンツも、戦争を利用してしっかり金儲けをしていたわけです。実際にはドイツは、経済的にも総力戦をする体制がないまま戦争に突入していたのです。
ともさん@2CV
国家社会主義の理想の社会はアリのような社会だと言われています。
アリの中には汗水ながさず他人(他アリ)の労働で食べているような分子はおりません。そこでは女王アリすら、種の繁栄のために卵を産むという労働にいそしんでいます。
個別のアリに意思があるかどうかは問題になりません。アリにとってはその使命は集団のために尽くすことにあり、種族全体の繁栄こそがアリの幸せそのものだというのです。国家社会主義者は理想の社会として、こういう社会を目指していました。
ともさん@2CV
その人達はどうなるんでしょう?
made for you
http://itass01.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/0p/eg-naz.htm
T4作戦を題材にした北杜夫の小説「夜と霧の隅で」は名作ですので、興味がありましたら御一読くださいませ。
ささき
made for you
教科書などにこのように書かれているため、ソ連が全体主義化したのはスターリンによるものでレーニンの時代はまともだった、と言う主張があるが疑ってかかった方が良い。
レーニンは帝国主義戦争反対を主張する一方、ヨーロッパの各国社会主義勢力との協力による国際的社会主義革命を考えていたが、第2インターナショナルが崩壊したためうまくいかなかった。しかし、厭戦気分の広がったロシアで和平と社会主義革命のプロパガンダを行うことにより、うまく労働者層を味方につけることができた。ボリシェビキ独裁が進む中で、レーニンは一国社会主義革命論に反対し、ロシア革命を引金として西欧諸国に連鎖的に革命が発生することを希望し、特に第一次大戦後のドイツで社会主義革命が起こることを待望していた。しかし、彼らの工作は実を結ばず、当面、一国社会主義で行かざるを得なくなる。その代りに、レーニンの時代から農業集団化等による全体主義的統制が始まっている。要するに、後のスターリン時代の悲劇の端緒はレーニンの統治にある、と考えて良い。
ソ連体制も当初から反革命派の徹底弾圧、富農層の大量処刑など行っており、どなたかも書かれているようにナチズム等の国家社会主義と実態はあまり変わらない。
ところで、以前の質問にも書かれているが、20〜30年代、計画経済及び全体主義統制が貧富の差を解消するための社会改革と経済成長の手法として、かなりの注目を集めていた。特に、30年代の大不況で経済的打撃を被り回復の遅れたドイツ、日本等の国々で影響力が大きかった。国家社会主義が蔓延したのはこうした当時の背景があり、高度な経済成長により国民の意識、価値観が多様化している現代の日本やドイツでも、こうした運動がどれほど支持を集められるか?
さらに、ナチズムの主な支持層は中産階層であり、彼らはドイツ共産党の支配による私有財産の没収は断固として拒否したい、しかし大不況からの復興及び社会改革について既成政党に期待できなくなり、ナチスのプロパガンダに引きつけられたものだろう。もっとも、当時のドイツ国民のうちナチスに熱狂的だったのはどれくらいだったのか、議論があるが。
アリエフ
しかし、ロシア革命の直後、ドイツ共産党をボリシェビキの強い指導、支援の下に置き社会主義革命を起こそうとしたのは事実。
アリエフ
国家社会主義者なら、朝起きて顔を洗うのも歯を磨くのも「国家のために顔を洗っている」のであり「国家のために歯を磨いている」のです。ちなみに夜の生活も同様で、ナチスの親衛隊なんぞは「国家のために生殖」するよう奨励されておりました。不幸にも子供のいない親衛隊家族には強制収容所に入れられたドイツ人政治犯の子供が分配され、実子として育てられていました。(これは70年代にもアルゼンチン軍部がマネをしております。)
こういう生活を強制されると70年も続けてしまうのがロシア人であり、自分たちから嬉々としてしてやってしまうのがドイツ人だという気がしますね。フランス、イタリア、スペイン、ラテンの国では絶対無理。日本人にも向いていないでしょう。
ともさん@2CV
>国家社会主義者なら、朝起きて顔を洗うのも歯を磨くのも「国家のために顔を洗っている」のであり「国家のために歯を磨いている」のです。朝から肩に力が入るため、日本人のように肩がこりやすい民族には不向きです。
ともさん@2CV
made for you
アリエフ
ところで、戦前の日本について「天皇制ファシズム」とする言い方がまかり通っているが、ナチス党を模範にしたという大政翼賛会運動は当初の目論見通りにはいかず、中途半端に終わってしまった。言論統制や総動員体制だけに着目してファシズムとするならば、総力戦を行う開発独裁国家(湾岸戦争のイラクが当てはまるか?)とあまり変わらなくなる。天皇制の下、特定人物に権力が集中し高度な統制社会になることを嫌った者は右翼の中にもおり、彼らは皇道派とも呼ばれ石原莞爾等の統制派と対立する。要するに、日本では本格的な国家社会主義化がうまく進まなかったのであり、ドイツともかなり状況が異なる。しかし、こうした相違点を無視して持論を主張している人間もいるから、議論は尽きることが無い。
アリエフ
ただ、皇道派は実力行使による政権奪取を目指し(統制派に追い詰められた結果とはいえ)、統制派は合法的クーデターによる国家乗っ取り(皇道派の暴発例の再発をちらつかせながら)を行い、成功したという違いがあります。そもそも、皇道派と統制派というのは思想の違いによる分裂というより、上原勇作元帥を統領とする薩摩閥と田中義一らの長州閥との権力争いに端を発していると理解しています。
Sampon