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長岡藩が持っていたガトリング砲2門はその後どうなったのでしょうか。 「峠」では長岡城陥落後登場しませんが、官軍に没収されたのでしょうか。 出家僧
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- 宮古湾海戦の際,「甲鉄」に搭載されていたという話を聞いたことがあるような
(違ってたらゴメンナサイ)
bishop
- 甲鉄艦に装備されていたのは別なものだと思います。あれは、当初から同艦に搭載されていたものだったと記憶しています。長岡藩のガトリング砲は、河井継之助らが会津に撤退するときに持っていき、会津に向かう途中で沼に沈めたと聞いたことがあります。確か調査も実施されて、ある池から当時の大砲が出たとか。ただ、ガトリング砲が見つかったとは聞いていません。『復古記』など、にも出てきませんので、官軍が没収したとは考えにくいですね。
陸奥
- ↑そうですか、沈めましたか。ご回答有り難うございました。
もう一つ質問なんですが、この砲は今町〜八十里越えまでの戦闘で使用されたのでしょうか。(不勉強ですいません)
出家僧
- ↑”この砲”とはガトリング砲のことです。
出家僧
- 管見の限りでは、撤退の際にガトリング砲が用いられた形跡はありません。ガトリング砲は目立ちますので、長岡軍が使用していれば政府軍などの記録に残ったと思います。ガトリング砲は、よく指摘されるように非常に扱いにくいところがあって、すぐに砲身が煤等で詰まってしまい、連射に支障が出たようです。ですから、撤退の時には既に故障、あるいは破損して使用不能になっていたのではないかと推測します。
戊辰戦争の際の東西両軍の火器の問題は興味深いですね。質問とは関係ないですが、仙台藩も例のアームストロング砲を持っていたという話しもあります。
陸奥
- 尊敬する河井継之助が愛着をよせていた兵器だけに、その後が気になっていたのですが、敵の手にわたらなかったのは喜ばしいかぎりです。
私の不勉強を補っていただいて有難うございました。
出家僧
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