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アルデンヌ攻勢時にパイパー戦闘団は車両を放棄して味方の戦線まで徒歩でたどり着きましたが、その後は前線で戦ったんですか? made for you
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- パイパーは確か連合軍の捕虜になり、軍事裁判で捕虜殺害罪に問われ、絞首刑か銃殺か服毒自殺かのどれかになったのでは?
その裁判の模様の写真を本で見た記憶があります。
みよっさん
- ?
BUN
- 大日本絵画「バルジの戦い 下巻」ジャン・ポール・バリュ著 岡部いさく訳
P40によるとパイパー戦闘団は師団命令により(1944年)12月26日付で解散。
各部隊はそれぞれの所属連隊に戻されたそうです。
KI-100
- ご回答ありがとうございます。そうだったんですね、パイパー戦闘団の戦闘がアルデンヌ攻勢の中心かと最近まで思っていたのですがその後も大規模な戦いがアルデンヌであったという事実をしって疑問に思ったんです。そして第6ss装甲軍はハンガリーでの春の目覚め作戦に参加するのですね。
made for you
- パイパーは1976年のフランス独立記念日にの極左テロによって殺害されてますね。
made for you
- あ、そうだったかな。混乱させてすいません。
みよっさん
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