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戦国時代、「騎馬鉄砲隊」はどれくらいの強さだったのですか?「信長の野望・将星録」ではインチキ過ぎる強さを発揮していましたが(鈴木重秀に騎馬鉄砲隊をひきいらせ、たった4500人で何万もの軍勢を破った事があるのですが。しかも犠牲が3割以下だった) ぱるぱる |
政宗
z
アリエフ
私の知る戦果とは、確かにこの道明寺の戦いなんですが、
片岡重長が先陣を取られたことを怒ってか、
大阪方の名うての将との対戦を目の前で邪魔されたかでブチ切れて
「味方の」有馬勢だか300を撃砕したのが唯一の戦果だったと思いましたが。(その後、おとがめ無しで家康に不問にされた)
剛胆さは兎も角もあまり誇るものではありませんね。
それに多寡が300ほど。
片岡の評判は上がるでしょうが、これで騎馬鉄砲隊をどうこうというのはちょっと無理かな?
ですから、他の戦例とかから考えるにこれは
「なぜ騎兵が、その存在自身の是非は兎も角も、鉄砲の発明以後も
今日に至るまでそれが主兵装に成らないか(弓装にしても)」
ということと関係があります。
(>インチキすぎるこれが正答ですね。大体コーエーのゲームは騎弓兵にしても遠戦兵器が強すぎる。)
かっぱ
伊達軍から誤って一斉射撃を食らったのは神保長三郎という部将の隊です。この誤射で神保隊はほぼ全滅、戦闘能力を喪失しています。
騎馬鉄砲隊の実力ですが、装填の難しい当時の鉄砲では馬上でこの作業を戦闘しながら行うのは至難の業でしょう。その機動性は魅力ではありますが、そう長い間同じ場所にはとどまれないでしょうね。(高い鉄砲を捨てるわけにも行かないし)
大阪夏の陣では伊達隊はいろいろ派手にやってます。ただ大阪城に突入して千余の首級を挙げるなど功績も著しかったため、失態も不問に付されたのではないでしょうか。
かとう
BUN
素人
BUN
「機動性」もとい「スピード」ですね。まことに相すみません。
確かに小回りは利かないと思います。
移動速度の速い鉄砲隊と自分は認識しているのですが。
7>
馬上筒だと、射程に問題があるような気がします。当時の火縄銃の射程は100〜150mくらい(当然有効射程はもっと短い)ですから、馬上筒の場合実際に戦果を挙げるためにはかなり接近しないことには鉄砲による戦果というものは期待できないと思います。
今度本に当たって調べてみます。
かとう
sharman
とりあえず、『暴れん防将軍』の冒頭のシーンは忘れてください(笑)
当時の内国産馬はいま青森にいる寒立馬と同等かそれ以下の体格しかなく、ほとんどポニーも同然という馬です。
鎧を着た武士を乗せては速歩で歩くのがやっと、足軽の突撃と速度の面でも大差がありません。
だいぶ時代はさかのぼりますが、だいたい、熊谷直実が鵯越で馬を背負って下りた、などという芸当が可能、だとみんなが信じる程度の馬です。
日露戦争の頃になっても、装備をつけた騎兵はギャロップができず、乗馬襲撃は困難というより不可能、日本軍騎兵は軽装備の乗馬「歩兵」にすぎない存在だったのです。
まなかじ
ここにはもっと勉強してから書き込むことにします。
謹慎2ヶ月してきます。
かとう
当時の内国産馬は仰る様に体格が小さい、と聞いたことがあるのですが。「流
鏑馬」に使われていた馬もそれなんでしょうか??
巻物なんかを見る限りでは、それなりに馬格もありそうなんですが・・
上の人間も小さいので、そう見えるだけかなぁ??
しかし、毎週の様に見ているが、馬は難しい(笑)・・・
tackow