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真珠湾攻撃の際、真珠湾に停泊していた戦艦、およびその被害。 そのとき太平洋方面に展開していた戦艦の数(名前)は分かるでしょうか? 特に、Big3がどうだったのか気になります。 taka |
BB-36ネヴァダ、BB-37オクラホマ
BB-38ペンジルヴェニア、BB-39アリゾナ
BB-43テネシー、BB-44カリフォルニア
BB-46メリーランド、BB-48ウエストヴァージニア
Big3のうちBB-45コロラドは大改装中で居ませんでした
BB-36は爆弾5、魚雷1を食らって大破
港外に脱出を図りましたが果たせず、浅瀬に乗り上げて着底というか沈没
戦死501名、42年2月末浮揚、戦列復帰は43年5月
BB-37は魚雷3本で転覆沈没、戦死415名
43年12月28日引き上げるも修理せず、放置廃艦に
スクラップ業者に払い下げられ本土に曳航する途中荒天にあい沈没
BB-38は入渠中に攻撃を受け爆弾2発で損傷
自力で本土に帰還して修理され、42年3月には戦列復帰しています
BB-39は爆弾8発魚雷1本を受け、爆発轟沈
司令官以下1104名戦死、未だに海底にあり
記念館として上に建物をつけて飾られてます
BB-43は隊列内側だったのが幸いして爆弾2発のみの被害
翌年3月には戦列復帰しました
BB-44は反対に外側だったのでフクロにされ
爆弾2、魚雷2を受けて大破着底、戦死98名
浮揚は42年3月30日、応急修理の後本土帰還し修理と同時に改装が施され
戦列復帰は44年1月以降になりました
BB-46は爆弾2発の被害で済み、翌年2月には戦列復帰してるみたいです
BB-48は数本の魚雷を受けて沈没、戦死105名
廃艦となった、アリゾナ・オクラホマに続く被害で
浮揚は42年6月、修復と改装で戦列復帰は44年9月となりました
SUDO
全艦集まってたんですね。やはり独海軍より日本海軍に脅威を感じ
ていたせいでしょうか(旧式艦は全部大西洋ですよね。)?
ところで損害が比較的少なく、42年初頭に戦列復帰してる艦が
2、3隻、それに大西洋艦隊を併せれば十分日本海軍に対抗できる
数の戦艦がそろいますよね。それなのにどうして艦隊決戦でなく
空母部隊によるヒットアンドアウェイ戦法をとったんでしょうか?
当時はまだ大鑑巨砲主義がまだ残っていたはずと思うんですが。
taka
ハワイあたりでの決戦に備えて温存していたという回答はいかが?
勝井
BB-40ニューメキシコ、BB-41ミシシッピ、BB-42アイダホ
BB-34ニューヨーク、BB-35テキサス、BB-33アーカンソー
BB-55ノースカロライナ、BB-56ワシントン
この8隻ですが
BB-40/41/42にすかさず太平洋に送られています>42年1月
さて
各戦艦の行動を見てみますと
41年12月、太平洋艦隊可動戦艦無し
42年1月、BB-40/41/42、大西洋から投入、可動3
42年2月、BB-46復帰、可動4
42年3月、BB-45改装完了、BB-38/43修復、可動7(改装4)
42年6月、BB-55実働状態に太平洋に、可動8(改装4、新造1)
42年7月、BB-56実働状態に太平洋に、可動9(改装5、新造2)
42年8月、BB-57実働状態に太平洋に、可動10(改装5、新造3)
42年9月、BB-43改装に、BB-55中破、可動8(改装5、新造2)
42年10月、BB-38改装に、BB-36修理改装完了、BB-57大破、可動7(改装6、新造1)
42年11月、BB-58、60、太平洋に、可動9(改装6、新造3)
BB-59は北アフリカでジャンバールの喧嘩して損傷してますし
他に大西洋に残るはBB-33/34/35で、戦艦としては期待出来ません
米軍は、使える戦艦の殆ど全てを投入してますが
ガダルカナル開始時ですら10隻しか無いのです
43年末になるまで、戦艦戦力で劣勢だったのです(なんて恐ろしい)
大艦巨砲主義が生きているからこそ、その戦艦の数が重要だったんですね
数え間違いやタイミング判断のずれ、たぶんあると思うので
出来れば、ご自分で確認してみることをお勧めします
SUDO
taka