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日本軍のオーストラリア侵攻作戦について、まったくわかりません。 どなたか簡単な解説をお願いします。 今のところわかったことは、 1.海軍にはこのような作戦は無い。したがって陸軍が行ったものと思われる。 2.台南空がポートダーウィンを爆撃したという記述があるが、 ラバウルからダーウィンの攻撃は不可能と思われる。 3.スンダ列島の東端に位置するチモール島に陸軍の飛行場が あったと思わせる記述があり、ここからならダーウィンの攻撃は可能と思われる。 4.敵側の記述に従えば、攻撃隊は双発爆撃機であり、 おそろしく性能のいい戦闘機に護衛されていた。 5.時期は不明ながら、昭和18年前半がピ−クであったと思われる。 以上です。 どんべ |
BUN
1943年6月20日 チモール島ラウテンから、六十一戦隊の百式重18機は、五十九戦隊の一式戦二型22機、に援護され出撃、さらに七十五戦隊の九九双軽9機も合同しました。スピットファイア(46機)の攻撃を受け、太田機、松原機を失いながらもポートダーウィン飛行場に50キロ爆弾を投下しました。六十一戦隊は撃墜13機を報告し、援護の「隼」は撃墜25機に損失1機。この時に迎撃したスピットファイア飛行隊は、撃墜11機をあげたとされています。「呑龍」の実質的な初陣であり唯一の大編隊での作戦でありました。
1943年6月22日 五十九戦隊の「隼」がポートダーウィンに単独進攻し、六十一戦隊の3機がポートダーウィン北北西200キロまで飛んで、金属片を散布しレーダーを妨害するとともに、囮となりましたが、重爆も戦闘機も敵機に遭いませんでした。
1943年6月23日 「呑龍」7機でブロックスクリーク飛行場を爆撃し、空戦もなく全機帰還しました。
以上で陸軍によるオーストラリア攻撃は終わりを告げました。
roth
結構有名なはずなんですが。チモール島クーパンからの発進です。
KI-100
第八章ダーウィン上空の零戦 を読まれるとよいでしょう。
KI-100
の空襲でしょう。
赤城、加賀、蒼竜、飛竜から計188機がポートダーウィンを空襲してます。
艦船を中心に相当の損害を与えたのですが。今、資料を読める状態にないので
詳細は詳しい人に譲ります。
tackow
『陸軍重爆隊』 伊澤保穂 著 新戦史シリーズ(文庫版)
樺ゥ日ソノラマ 1996年
P254〜258 ポートダーウィン攻撃 の要約です。
単行本も有りますが今手元にありませんので記載できません。
どんべ氏のお考えは、海軍の件を除いては、ほぼ正鵠を得ておられたのではな いでしょうか?
roht
>結構有名なはずなんですが。
厳しいです。言い訳します。
零戦および日米海戦史がらみの本は十数冊あるんですが、
どれにも載ってなかったんです。
>最も規模が大きいのは昭和17年2月19日の空襲でしょう
これに関しては、概要はつかんでいます。
これよりは規模が小さかったという事ですね。
どんべ
光人社「零戦 最後の証言II」神立尚紀著 が発売されたばかりです。
元202空飛行隊長でポートダーウィン空襲参加者の証言が記されています。
KI-100
文献『日本軍用機航空戦全史 第一巻』秋元実 著 P474
グリーンアロー出版社 平成6年
roht