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上海事変さなかの1932年(昭和七年)2月、海軍航空隊の三式艦戦と米人傭兵ロバート・ショート(Robert Short)駆るボーイング P-12 戦闘機の間で行われた「帝国海軍初の空中戦」について詳しい資料をお持ちの方はお教えください。 私の持っている資料は光人社NF文庫碇義朗著「隼」P.57の「我が六機の空襲部隊に対し勇敢にも単機で攻撃をかけてきたP-12が撃墜された」という記述と、Elevon U.S Military Aircraft(http://home.att.net/~jbaugher1/p12.html)の「ロバート・ショートはP-12の輸出型Model218を駆り日本機三機のうち二機を撃墜したが、その後自らも撃墜された」という記述だけです。 日本側の編成や被害について矛盾があるので、どちらが正しい資料なのかわかりません。また、この時の空中戦には坂井三郎氏の師匠として有名な黒岩上飛曹も参加しておられたと思うのですが…。 P-12 の解説にこのエピソードを入れたいのですが、検索サイトではいい情報源に当たりませんでしたので Warbirds の皆さんの強力を仰ぎたく思います。よろしくお願いいたします。 ささき |
昭和七年、上海事変勃発とともに、
第一航空戦隊(鳳翔、加賀)が上海沖に進出したが、
二月五日、所茂八郎大尉の率いる鳳翔戦闘機隊の三式艦戦三機が、真茹鎮上空で、
中国空軍の戦闘機九機と数回にわたって空戦を展開した。
続いて二月二二日には、生田乃木次大尉の加賀戦闘機隊の三式艦戦三機が、
小谷大尉指揮の加賀艦攻隊の十三式三号艦攻三機とともに、
蘇州上空で中国空軍戦闘機と交戦、義勇飛行家ロバート・ショートの搭乗した
ボーイング218戦闘機を撃墜、日本最初の撃墜を記録した。
このボイング218は、P−12EやF4B−3の原型となった機体で、
一機(シリアル1260、登録記号X−66W)製作され、
米国でのテスト終了後、中国へ売却されたものである。
胴体は金属製セミ・モノコック構造であった。
以上、秋本実著:日本軍用機航空戦全史第1巻より原文ママ。
勝井
疑問その1:米側の資料ではショート氏が日本機二機を撃墜したとなっていましたが、
この空戦で日本側の被害記録はどうなっているのでしょうか?
疑問その2:「初撃墜」を果たしたのはこの空戦に参加していた黒岩利雄一空曹(当時)
だったという資料もあるのですが、
引き続き情報を募集しておりま〜す(^o^)/
お礼と言っては何ですが、WEB 検索中に見つけた画像を紹介。小池繁夫画伯による
三式艦戦の勇姿です。
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln6/NavyT3.html
ささき
様です。初の「撃墜」ではあるのでしょうが。
2月22日には生田乃木次大尉の率いる加賀戦闘機隊の三式艦戦3機(2番
機黒岩利夫三空曹、3番機武雄一夫空兵)が艦攻隊と共同で例の撃墜を記録
しています。我が方の損害は艦攻の小谷大尉が機上戦死のみで他には記録さ
れていません。なお、この空戦は艦攻と艦戦の共同攻撃というのが真相に近
いみたいです。
上海事変中には、我が方の損害は戦死1名と不時着1機ですから。この空戦
時には被撃墜は無いと思われます。
また、2月5日と22日の間にも空戦が行われていますが、性能差で逃げら
れています。いずれ、三式艦戦よりも優秀な敵機の出現はショックだった様
ですね。
参考資料は、「日本海軍戦闘機隊」「戦史叢書」、勝井山も持っている「海軍戦
闘機隊史」等です。
takukou
>生田乃木次大尉の加賀戦闘機隊の三式艦戦三機
その三機のパイロットが生田乃木次大尉、武雄一夫一空兵、黒岩利雄三空曹です。
共同撃墜になっていると思うのですが。
KI-100
さっき気が付いたのですが(^^;;実は、生田乃木次氏は未だ健在であります。
先日、購入した「零戦 最後の証言2(光人社刊)ISBN4-7698-0965-4」に例の
空戦について、生田氏の回想が掲載されています。
そこでは(こう書くと失礼ですが、真偽はともかく)例の空戦の模様がかなり
詳しく回想されています。
私の持っている資料を全てあたった訳ではありませんが、現在容易に入手出来
る空戦の資料としてはこれ以上詳しいものは無いと思います。
また、生田氏はショート氏の弟とも会っており、ショート氏が1対6という不
利な状況にも関わらず空戦を挑んだのは、蘇州の駅から女性・子供を満載した
避難列車が出発する事になっており、日本軍がそれを攻撃すると思ったからだ。
という意味の事も書かれております。
ここでは紹介しきれないので、残念ですが一読をお勧めします。
余談になりますが、生田氏は現在でも保育園を3カ所経営しており。園児から
慕われている写真を見ると、保育園に我が子を預けている身としてはなんとな
く共感をおぼえました。
takukou
ささき