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硫黄島戦での初日の米軍の死傷者の多さは日本軍がはじめて迫撃砲を多量投入(120門位)したからだということをよんだのですがそれまでの南方戦線では迫撃砲はあまり使われなかったのでしょうか。 サイパンでまだ米軍が海頭堡を拡張してない時、「海没した臼砲があったら」と悔やんだ指揮官がいたという話を聞いて思ったのですが。 太 |
無かったのは事実です。また命中精度の低い迫撃砲は砲弾の使用量が多いので砲兵から嫌われていたため
継子扱いされて生産量も少ないもので終わっていたと記憶します。
大塚好古
迫撃砲は歩兵中隊直協ぐらいが一番活躍できそうなきがします。 自衛隊もそうだし。 日本の歩兵には突撃(撤退?)の前に煙幕ぐらいはらせてあげたかったきもします。 沖縄戦でそんな煙幕はる部隊がいて活躍したとかいてあって自分はそれは撤退援護だと思っているので。
話がかわって申し訳ないのですが書いてからわかったのですが硫黄島では砲は艦にむけなかった変わりに海軍から融通してもらった25ミリ機関砲を小発や大発クラスの艇(米軍呼称ははっきりわからない。Lなんとか?)に指向したそうです。 戦訓分析などしていた教育総監部が推奨。 たしかに寿司ずめで25mmは食らいたくないなあ。
太
takukou
世界標準のストークス・ブラン式で口径81ミリの九七式曲射歩兵砲という立派な「迫撃砲」も持っています。
これが主力にならなかったのは九二式歩兵砲も一応曲射弾道射撃ができたうえ、平射もできるという利便性があったためですが、二兎を追ったせいか、九二式はどちらにも中途半端な性能でした。
で、日本陸軍で言う「迫撃砲」は、砲兵の管轄にある、ガス弾投射用の兵器を指します。ガス弾は性質上通常形式の方で発射するよりも迫撃砲で発射するのに向いており、また、迫撃砲の高発射速度も有利に働きます。特殊用途の迫撃砲なので、射程延伸のために発射薬を多くしているので駐退機を持ち、かなり重量が嵩んでいます。
もちろん通常砲弾の発射もできますし、実戦では通常砲弾のみを使用しています。
このため、日本陸軍の迫撃砲は秘密兵器扱いで、名称も90ミリで九四式「軽」迫撃砲、150ミリで九六式「中」迫撃砲と、過小評価を誘うような制式名称を与えています。
もともとガス弾投射用に開発された迫撃砲ということでは、ドイツの100ミリ、アメリカの107ミリ(これも駐退機を持つかなり重い迫撃砲)があり、アメリカは歩兵に配置換えをしていますが、ドイツはロケット砲によって更新されるまで、終始ネーベルトルッペ(ガス戦部隊)が運用(もちろん通常弾で)しています。
硫黄島での迫撃砲ですが、陸軍の歩兵砲と擲弾筒のほかに海軍部隊も81ミリの三式迫撃砲(これもごくあたりまえの迫撃砲)を多数持ち込んでおり、これがかなりの火力を発揮しています。
まなかじ
していた砲は九八式臼砲と思われます。
また、硫黄島での砲戦力は陸軍が野砲2個大隊(約40門)、速射砲5個大
隊(約70門)、中迫撃砲、臼砲3個大隊(約110門)であり。これに海
軍(平射砲23門、高角砲31門、25o機銃157門)が加わり、「質」
はともかく「量」的には米軍とほぼ互角でした。戦争後期にしては希有な例
かもしれません(三式迫撃砲が無かった・・)。
迫撃砲に関しては「弾が無い」という理由から、陸軍では余り積極的に用い
られなかったのは皆さん御指摘の通りです。
takukou