196 |
第二次大戦でイギリスは最初から最後まで戦っていたのに人的損害が二番目に少なかったのはなぜですか?(ちなみに一番少ないのは本土被害ゼロのアメリカ。風船爆弾が数個飛んできただけ) ぱるぱる |
こんな数字もあります。
マレー戦の時の豪軍はマレー防衛軍全軍の14%に過ぎないが、同軍の戦死者の73%を占めた。
これはどういうことだろう???
かっぱ
戦闘員を加えた比較としても、イギリスが本格的に大軍を投入してドイツに反撃するのはノルマンジー以降であり、40年の電撃戦(ドイツ軍フランス侵攻作戦)のときは「陸軍大国」フランスにいくらかの援軍を送った程度、北アフリカでも投入した兵力はさほどでもないから、宣戦布告は早かった(39年10月、ドイツ軍ポーランド侵攻時)けど大兵力を戦線に投入した期間はドイツ、ソ連、日本に比べ比較的短い。おまけにノルマンジー以降の西部戦線は米英がその兵力でドイツを圧倒していたから、ランチェスター二乗法則どおり兵力優勢な方が損害も少ない。
アリエフ
そうですね、アリエフさん。(先走ってやってしまった!!)
でも何か変だな??(米本土でもその風船爆弾で人的被害が出てますし)
ともすればやはり“軍人・軍属”に関してに限定されているんでしょうか?
さもなくばソースが多少特殊かと。
統計・総計の類はよく誤差がありますしね。
察するに米国(これが本土で被害ゼロとなっていること)の例から
地域・国別の統計であると考えます。(正答を教えて下さいね)
この辺りに解答のヒントと私の“先走りレス”との整合が隠されていそうです。
つまり、質問者の問う『英国』とは英国のみの事を指しているのだと思います。
「何を当然な」と思われるでしょうが、
当時の英国は“英国本体以外の国を含む”陣営、『英連邦』として参戦していました。
アリエフさんの指摘通り40年電撃戦時は英本国軍主体のフランス派遣軍は少数でしたし、
しかもダンケルクでもさっさと英軍は引き上げてしまいましたから犠牲は少数です。
そして北アフリカ・中東という地中海戦域でドイツ軍と地上戦を戦った英国中東軍とは、
「インド軍やカナダ軍や南ア、ニュージーランド・・・」と国名を冠している前述の存在による部隊です。
編成の中に彼らを目にされたことはあると思います。そして結構損害を吸収しているんです。
先ほど例示した豪軍についても太平洋戦争開戦(41年)時、
既に4個師団を動員していましたが、その内3個師団は中東・北アフリカへ派遣していましたし
(最終的には太平洋戦争の開戦にもより55万人の動員となる)
39-45年の通しですが3万9366名の死者を出しています。
当時の豪州は人口700万ほどでしたからこれは相当な負担でした。
艦艇も何も豪州の為だけに運用されてはいなかったのは皆さんの既に知るところだと思います。
(英国海軍のことをロイヤル・ネイビーと敢えて言うのは英海軍(陣営)の中に
ロイヤルではないネービーが混じっていたからです)
この様に英帝国海軍の部分を構成していた連邦構成国は
「帝国への貢献か本土の防衛か」
というジレンマに悩まされています。
特に豪は一次大戦の時ガリポリで大損害を出したとき、「何で英国の戦争に我々が血を流すのだ?」と
従来の姿勢に豪州の人々は疑問をもち我々は豪州人だ!という国家意識が初めて台頭したといいます。
この時の機運“A nation was born ”といいます。そして「帝国派」と「独立派」とが今日まで―、
と説明口調になってきたので追悪い癖だなあと思いますのでこの辺で。
ですからぱるぱるさんの統計資料に現れていない「英軍の損害」というものも可成り存在しているのです。
かっぱ
最もこの資料は主な参戦国のみを載せているので(イギリス、フランス、オランダなどの植民地住民の死者はその宗主国の中に含まれていると思う)、南米諸国など形の上だけで(兵をほとんど送らなかったなど)連合国に加わった国は除きます。
ぱるぱる