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大戦中対ソ援助としてベーリング海峡をアメリカの航空機が飛行してソ連に送られたり(最大時200機/月以上)ウラジオストクの港に月50万t物資が陸揚げされたりしていたそうそうですが北極海経由の対ソ援助と浦塩経由の対ソ援助、どのくらい のペースでおくられたのでしょうか? 中立国経由などもあったら教えてください。 太 |
ムルマンスク/アルハンゲルスク経由(全体量の約1/4)で送られてます。
大塚好古
アリエフ
航空兵力も対抗すべき米軍機に対して比較的多かったようで北樺太のオハ油田(確か昭和19年ぐらいまで採掘権が日本にあったはず)が近いので燃料の問題も多少緩かったようです。A20などそれなりに落としている。(糧秣、弾薬、燃料など実際より残り少なくいうのはどこでも同じですが悪天候でそれほど多く飛んだといえなかったからかもしれません)
太
当時日米は交戦状態にありましたが、ソビエト商船を使うことによって日本海軍による拿捕が行われないよう
配慮されています。恐らく本作戦は第二次大戦でソビエト海軍と商船隊が活躍した唯一の事例であると
思われます(汗)。
大塚好古