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「どっち」「ウソ」等の他のコーナーで、「司馬遼太郎の『坂の上の雲』に よると・・・。」「NHK、アメリカ政府のドキュメントフィルムによると ・・・。」というふうに書き込むと、「そういう資料は当てにならない。」と いう回答がありました。では、みなさんはどういった資料を信頼して参照して いるのでしょうか?僕は、司馬遼太郎の本、ドキュメントフィルムなどは結構 信頼できる、と信じているのですが・・・。 海軍元帥 |
司馬遼太郎、好きですがやっぱ小説ですから。例えば、司馬遼太郎
の「関ヶ原(大好きです)」にどの程度の資料的価値があるといえば
少なくとも津本陽の「乾坤の夢」の方がまだ資料としては価値がある
でしょうネ。五十歩百歩ですけど。
まぁ、小説の場合、作者がどの程度一次あるいは二次資料にあたった
かではないでしょうか?
ドキュメントフィルムもしかりで、「ボフォースに撃たれた海軍機がど
の様に発火したか」とかの目的には使えるかもしれませんが。その以
上の価値は無いのでは(とはいえそれを統計的に調べるのはドキュメ
ントフィルムでは不可能に近いですが)。
takukou
一番「当てにならない」のです。また、何を参考にすればよいのか、という問いに関しては、最初に正史に当たるのが基本です。何もわざわざ「嘘です」と自分で語っている稗史=フィクションに当たる必要はありません。
でも、その当てにならない宣伝用ドキュメントフィルムを読み込むと実は面白い、
というのを近日公開だよ〜ん。
BUN
たもの)と資料批判がなされている公式記録が基本でしょう。米国では軍事
機密以外は比較的詳細に公表されます。ヨーロッパでも軍事学が歴史学の一
部であるという考え方がつよいせいか一次資料がよく引用されています。日
本ではわりと引用資料の根拠が不明なことが多のと、一次資料でもあまり批
判をせずに使っている例が多いと感じます。
司馬遼太郎については彼が新しい小説を企画すると神田の古書店街からそ
の分野の古書が消えてしまったという話を聞いたことがあります。関西の大
学の教授たちは新資料が市場に出た時買おうとするといつも司馬に買い占め
られ無念がっていたそうです。司馬邸の書庫はへたな大学書庫などは比べ物
にならないくらいのしろものだそうです。(以前NHKで書庫を映していま
した。)ただし、司馬は歴史学者ではありませんので自分の作品からの資料
としての孫引きについては一切責任を負う必要はありません。彼は小説家な
のですから。
ドキュメントフィルムに関してはナチスドイツの報道戦略について書かれ
た本が何冊かあるはずです、それらを読むと目に見えるものと実際のものと
の微妙な関係がある程度わかると思います。
tk
あの方は大量の資料を駆使なさる方であることも確かです。
しかし問題は、我々が目にする小説はすでに
司馬さんが1度フィルターを通したものであることだと思います。
ですから文中には、あの方なりの考えが随所に反映されてます。
特に人物評などについてはその傾向が顕著に思えます。
小説を資料とするに最大の問題点は、そこにあると僕は思います。
(それでも敢えて小説を資料として活用しようとするならば、著者の考えを徹底的に排除できるだけの鑑定眼が必要になりましょう。
これは相当経験を積んだ熟練者でないと無理に思います)
勝井
少なくともあれをそのまま資料として使う気は(今では)ありません。
例えばここ等への問題提起の出発点としたり、
これはと思うエピソードを自分で裏付けを求めたりと、
そういう使い方をしてます。
僕自身、小説を完全に中立化して読めるか自信はありませんので。
勝井