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戦艦大和の沖縄特攻作戦は「天一号作戦」です。ということは、フィリピンの時の 「捷号作戦」みたいに二号、三号はあったのですか とーる |
BUN
んじゃ「天一号作戦」かというとこれもそうじゃない、というのが、今の
ところ私の中における結論なんですよね。天一号作戦とは密接な関連(そ
ういう意味で菊水作戦とも関係はあるが、ちょっと関係の意味が違う)は
あると思うのですが、水上特攻が天一号作戦なのかと質問されると、それ
は微妙なところで「そうじゃない」とするのが合理的に思えます。
今泉 淳
本来の天号作戦は、陸海空全軍を含む総合作戦計画のはずですから航空作戦については「天号航空作戦」という用語が使用されている事も含み、当然潜水艦も含む水上部隊の作戦もまた天号作戦に包括されると考えて不思議は無いように思いますが。
菊水作戦については海上特攻隊戦闘詳報に「菊水一号作戦に呼応し、」とあるように別作戦として捉えて問題ないでしょう。
(従来の機動部隊への航空攻撃が沖縄上陸部隊へ向けて焦点化されたのが菊水作戦であると、私は理解していますが。)
この辺は既に検討されてのことだと思いますが、真意はどの辺にあるのでしょう?
BUN
は結構微妙なところがあるので、できればすぱっと断定できる資料なりなんなりを
ご教示願えれば、私も幸いなのですが…
GF電令作五六四A号では確かにおっしゃる通り、第一遊撃部隊の用法に関して
定めるところがあり、「ニ 海上部隊ノ作戦」に「(一)第一遊撃部隊ハ警戒ヲ厳ニ
シ 内海西部方面ニ在リテ待機シ 特令ニヨリ出撃準備ヲ完成ス」とありますが、
その直後に「(二)航空作戦有利ナル場合 第一遊撃部隊ハ特令ニ依リ出撃シ敵攻略
部隊ヲ撃滅ス」とあります。
これには、一応状況によって(具体的には「航空作戦有利ナル場合」)第一遊撃部
隊が出撃する旨の計画を示しているわけですが、この電令作五六四A号では航
空部隊に関しても同様に「撃滅」などの表現が見えるだけで、特攻などの文言は
見えていません。ただ、基本的には特攻が中心(特に航空)に想定していたことは
多分間違いなく、また他方昭和20年2月1日の日吉のGF司令部での打合せで、
大和以下の第二艦隊を特攻的に使用する旨神参謀が発言している事実もあります
(もっとも、これは神参謀個人の考えが強く滲んだものと解釈しておりますし、第
二艦隊でも、まだ特攻を現実的なものと受け止めていたわけでは、この時点では
決してないと思います)。
それに対して、天一号作戦発下令(3月26日一一○二、GF電令作五一二号)に引き
続き、第一遊撃部隊に対して「出撃準備ヲ完成シ内海西部ニ待機」を命じ、また佐
世保への回航すべき旨命じています。これは、天号作戦計画に示された(一)の「特
令」に対応したものとみなすことができます。実際には、GF電令作五八九号によっ
て兵力を一部改め、さらにGF電令作五九〇号(28日)で一旦佐世保回航を特令する
ことを決めたものの、米機動部隊を牽制誘致できる可能性が低くなったため、3日
に至ってGF長官は佐世保回航を取りやめさせています。
前後しますが、1日にGF長官は草鹿参謀長、淵田航空参謀、三上作戦参謀を鹿屋
に派遣し、打合せの結果1KFGBの「菊水一号作戦」要領が発令されました。それ
に呼応して、「大和」以下の特攻作戦が計画されたことは良く知られたことかと思い
ますが、そもそも軍令部にしても「燃料が無い」(富岡一部長)という意見や、草鹿参
謀長も神参謀の戦艦の特攻的使用をなだめていた事実、草鹿参謀長の鹿屋出張以前
に海上特攻を具体的に実行する計画が無かったことや、その他関係者の証言などか
らして、「大和」以下第一遊撃部隊の海上特攻そのものが、天一号作戦に定められて
いたわけではないと考えられます。
海上特攻が天一号作戦の計画に含まれていなかったとしても、「大和」以下の出撃が
天一号作戦の計画に含まれていないことの証拠にはならないことも事実です。ただ、
私が思うに、天一号作戦の計画には「(二)航空作戦有利ナル場合 第一遊撃部隊ハ特
令ニ依リ出撃シ敵攻略部隊ヲ撃滅ス」とあり、海上特攻が発令された5日の時点では
「航空戦有利」と判断できる状況ではなかったと小生は考えますので(直前の九州沖航
空戦で相応の戦果を挙げたものと大本営海軍部が判断していたようですが、沖縄に来
襲した敵兵力を考えれば、「有利」と判断していたとは考えにくい気がします)、第一
遊撃部隊への海上特攻の下令(GF電令作六〇三号)は、本来想定していた状況とは異な
る状況で発令されたものと小生は思います。
作戦計画の変更というものはいくらでもあり得る話ですので、有利であろうがなかろ
うが、この出撃が本来の作戦計画に基づくものとする見方は一つの考え方だと思いま
すので、その意味で海上特攻作戦を「天一号作戦」の一部とみなすことを完全に否定
するものではありません。その一方で、作戦計画者であるGF司令部内でも神参謀以
外真面目に第一遊撃部隊の出撃を考えていなかったこと、また第二艦隊でも種々の状
況から出撃が寝耳に水であったことなどから(そもそも第一遊撃部隊にせよ、中央の艦
艇整備状況や配員状況からして、このような形の出撃は予想していなかった)、基本的
には計画にあったとはいえ実施部隊でも上級司令部でも作戦計画を本当に実行するつも
りがあったか甚だ疑問であり、美辞麗句で飾りまくった当時の作戦計画(「航空作戦有
利ナル状況」なんてのが期待できたか、「敵攻略部隊ヲ撃滅」なんてどこまで可能だっ
たか)であったとしても、やはり計画が想定する状況とは異なる状況で出撃を命じられ
たという側面は否定できないと思うわけです。
その意味で、天一号作戦に含まれるという考え方を完全に否定できませんが、その一
方で「天一号作戦に含まれている」とするのは、戦闘なり海上特攻の経過や結果を後か
ら解釈するとそうなるのであって、決して当初の紙上の計画意図と一致しているわけで
はないと私が思っている旨申し上げるわけです。
なお、当時の戦闘詳報の一部にも「天一号作戦海上特攻隊」などの名称で作製された
ものがあることは知っていますが、それを考えても、海上特攻作戦を「天一号作戦の
計画に従ったもの」と断じる自信はありません。繰り返しになりますが、結果を事後
的に解釈すれば天一号作戦に含ませることはそれほど無理はないと思いますが、手元
にある資料を参照する限り、作戦立案の過程や発令に至る経緯を考えると、天一号作
戦と密接な関係は持っているが、当初計画されたところの「天一号作戦そのもの(ある
いは一部)だ」と言い切るにはやはり一寸の躊躇があるわけです。
ちょっと微妙なところなんですけどね。私も、以前は「天一号作戦だ」と思っていた
のですが、とあるところでこういう指摘を受けたもんで(もっと説得力のある文章でし
たけどね)。だから、別に絶対に譲らないってことじゃないっすよ。> BUNさん
今泉 淳
の「出撃準備ヲ完成シ内海西部ニ待機」とそれに続く「佐世保ニ
前進待機」を指しているのではないか?というのが今泉さんの指摘
であると思うのです。この時は佐世保に第二艦隊を前進させ、機動
部隊の誘致とあわよくば攻略船団の撃滅を狙ったものですが。確か
に「水上特攻」とはその内容が違うと言えば違いますね。
どちらが正解かは判りませんが、大局的には「水上特攻」も天一号
に入ると思っていました。外してたらすんません。
takukou
takukou
解釈すれば」というのに対応します。事実を後から解釈すれば、確かに一連の作
戦の一部とみなすことができますが、当初の計画内容に沿って解釈した場合は必
ずしもそうとも限らないというのが、私の言わんとするところです。
今泉 淳
とか、強弁するつもりはないのです。
今泉 淳
大和出撃については、宇垣纏は戦藻録の4月5日に「GF長官は大和及二水戦を水上特攻隊とし・・・沖縄島西方に進出、敵を掃討すべき命令を出せり。決戦なればこれもよからん。」と記しています。
この「掃討」という認識が今泉氏の発言への弱い反撃なのですが、航空部隊の司令長官が大和の作戦を掃討と表現している点は、実態はどうであれ注目すべきではないでしょうか。
また、「決戦なればこれもよからん」との記述も「天号作戦下である以上、計画外事態も発生する」との認識を示していると読んでも問題ない様にに思います。
少なくとも、三航艦、五航艦を指揮する司令長官が大和部隊に「掃討」という言葉を使用したのは無視できないのでは、と考えるのですが。
BUN
具体的実行方法とか実現可能性をどこまで考えていたかは、甚だ疑問なん
ですよ(末期の作戦計画とか命令ってのは全てこの類)。
>この「掃討」という認識が今泉氏の発言への弱い反撃なのですが、航空部隊の
>司令長官が大和の作戦を掃討と表現している点は、実態はどうであれ注目すべ
>きではないでしょうか。また、「決戦なればこれもよからん」との記述も「天
>号作戦下である以上、計画外事態も発生する」との認識を示していると読んで
>も問題ない様にに思います。少なくとも、三航艦、五航艦を指揮する司令長官
>が大和部隊に「掃討」という言葉を使用したのは無視できないのでは、と考え
>るのですが。
当初の計画の変更や計画外の発令があったとしても、当時の状況ではそれはある意
味出当たり前かもしれません(そもそも、計画そのものが計画になっていないんだ
から)。じゃ、その「計画外の事態に対応すること」も「計画」(=天一号作戦)なの
かといわれると、よくわからんですよね(笑)。
「掃討という言葉に注目すべき」の意味は、「戦果を誤認していたかもしれないけ
どとにかく指揮官が『航空作戦有利ナル場合』に準じるものと認識した」という
意味かと思います。(仮にそうだとして話を進めますが)なるほどそういう解釈は可
能だと思うのですが、その一方でGF長官ですら成功率50%はないと判断して
いた事実もあります。
海上特攻そのものがGF司令部で検討された形跡はあると聞きますが、それを実行
するまでの詳細な計画にするまでは到底至っておらず、ましてや実際に実行するこ
となど、当の第一遊撃部隊はおろかGFの作戦参謀や参謀長ですら思いもよらなかっ
たものと想像します。そういう当時の認識を考えれば、「掃討」というのは作戦計画
における「撃滅」という表現と同じ位置付けになるんじゃないかなあとも私は思うん
です。
たしかに、米内海相に天皇から「天号作戦ニ於ケル大和以下ノ使用法不適当ナルヤ否
ヤ」と御下問をうけている事実もあり、大和特攻作戦を天号作戦に含めて考えるのは
後から巨視的に見るならばそれなりの合理性を持つと、私も思っています。でも、下
令された状況を追っていくと、それは本来の天号作戦計画に明示されたそれとは違う
と思うのです。でも、繰り返しになりますが、それをあとづけ的に解釈することで「
天号作戦の一部」とみなすことはできます。そういう微妙なことを言いたいだけなん
ですよ。ちょっと細かいかもしれないですが。
今泉 淳
宇垣纏は多少文芸の才のある人物だったことは異論は無いと思いますが、言語に対して教養を持ち、しかも一流の軍人である以上、「掃討」と「撃滅」を混同するといったことは、私にはあまり考えられないのですが。
BUN
BUN
この文章だけ見れば非常に整合性もとれているし合理的に見えるんですが、
当時の状況でそこまでそれが合理性をもっていたかは、やはり疑問ですよ
ねえ。
>「掃討」と「撃滅」を混同するといったことは、私にはあまり考えられないの
> ですが。
いや、そういうことじゃなくて、文脈上の「美辞麗句」という位置付けでは同じ
だろう、と私は言いたかったんです。作戦計画や命令上「敵ヲ撃滅」なんて言っ
たって、そりゃその心意気は分かるけど結局そんなこと実際にどこまで実現可能
か怪しいって現状があるわけで(理想を言えば、こちらの損害無くして相手を撃
滅せにゃいかんし、そうしないと戦争に負けちゃうんですが)、「掃討」と言え
ば聞こえはいいけど、それがある意味で美辞麗句じゃないかな、と言いたかった
んです。
>まあ、この辺にしておきますか?
ええ。私の問題意識が伝われば、私としてはそれ以上主張することはないです
し。
今泉 淳