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歴史にIFはないことは重々承知ですが、若し清朝末期に西太后が優れた人物で、中体西洋運動が軌道に乗り、従って北洋水師の予算も頤和園造営なんぞに流用されなんだとしたら、日清戦争の、特に海戦面に如何なる影響がでたでしょうかね? ベックメッサー |
速射砲への変換が可能だったのかどうか、その規模がどうだったのか
全てはそこにかかってくるように思いますが
アームストロング社が戦後に社長と副社長だったっけが
日本から勲章送られてるほどですから、ア社は日本べったりでした
つまり、日本の裏には英国が付いていたと見るべきです
これを覆すには、追加全艦艇を英国に発注し
各種権益も英国に多大に開放するなどの政策が必要でしょう
それが可能なのかどうか
また、その場合、独系前方重視艦と英国系舷側重視艦が混在し
艦隊運用等にも齟齬をきたすでしょう、つまり戦力の増強は難しい
もし、速射砲の確保が出来なかった
つまり英国を引き入れることが出来なかった場合
数割戦力が増大しても海戦の勝利は動かなかったのでは無いかと思います
勿論、相対的に日本軍の損害は増加したでしょうが
また、清国海軍戦力の増強度が多大だったならば
富士と八島が来るまで海戦を先延ばしにするという手段があります
あの二隻は掛け値なしに、当事世界最強で
北洋水師の戦力が史実の倍にでもならない限り、どうにもならないでしょう
反対に、清国が当初から英国寄りの施策をしていた場合
日本は果たして開戦したでしょうか
また、その場合の清は日本ではなく
英国によって、より一層侵略されたかもしれませんね
SUDO
ベックメッサー