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161 仮に日本が辛亥革命を察知していたら、
どのような行動をとったと考えられますか?
僕としては、一番過激な選択肢としては、
「満州保護国化」だと思うのですが。
勝井

  1. 辛亥革命自体は突発事件だから察知するのは不可能でしょう。
    「満州保護国化」はそのまま第2次日露戦争を意味すると思いますが。
    こういち

  2. 辛亥革命前の時期、日本は孫文を始め反清活動の拠点となっており、宮崎とう天、頭山満など、孫文の運動に協力する多くの日本人がいました。彼らは桂太郎など政治家ともつながりがあり、孫文と協力して親日政権を造ろうとしました。そして、宮崎などの「志士」は中国に渡り辛亥革命の運動に協力、参加しています。察知しなかったどころか、気脈を通じていたと思うのですが。
    ただ、辛亥革命成功後、中華民国政府では孫文と袁世凱が対立し孫文は日本に亡命します。日本が亡命した孫文を後押し、軍事力を行使してでも中国に入ろうとしなかったのは、日露戦争の後で疲弊した国力の回復を図っていた時期だからでしょう。
    アリエフ

  3. いえいえ辛亥革命の発端になった武昌起義は行なった関係者も成功するとは思わなかった突発的なものだったんです.その証拠に孫中山はこのとき次の蜂起の金策のためアメリカのデンバーにいて知らせを聞いて大慌てで帰国してるんですから。
    実際に武昌で蜂起した武昌新軍も自分たちの行動がまさか成功するとは思っていなかったから,名の通った首領を用意していなくて自分たちを鎮圧する立場にあり蜂起に驚き逃げ回っていた清軍の旅団長黎元洪を脅して無理やり新政府の都督にする有様.
    黎元洪が泣く泣く青ざめた顔で清朝からの独立を宣言したところ燎原に広がる火の手の様に各地で蜂起が発生して瞬く間に18省が独立してしまい大革命になってしまうと言うのが辛亥革命の発端です.秦末の陳勝・呉広の乱もかくやと言う展開ですが王朝の末路と言うのはこう言うものかもしれない.

    孫文にとってはまさしく誤算で蜂起が自分のもので無かったうえもともと長江蜂起ではなく辺境蜂起を主張していた孫文は部下であり路線対立をきたしていた宋教仁らの路線が成功した事で発言力も低下した.帰国した孫文は最も有名な革命家ということで大総統になるが事実上は棚上げだったからね.

    そして日本政府は下のスレッドに書いたように寺内内閣が援段政策をとった事で孫文を裏切ったんだ.(段祺瑞は孫文と敵対する北洋軍閥の雄)確かに孫文は日本に多数の友人がいたが日本政府が孫文ら国民党主流派を支援した事はほとんど無い.段祺瑞が失脚すれば今度は張作霖と常に国民党の敵を支援するのが日本だった.結局孫文は洪憲帝政以後の軍閥混戦をコミンテルンの支援で闘い共産党との国共合作に踏み切る事になる.彼個人は疑い無く日本のかけがえの無い友人だったのだが日本の政策が彼を敵に回しつづけた.
    日本政府は孫文のように強い信念と個性を持つ革命家を敬遠し、傀儡になりやすいとみられる軍閥首領を支援する事で都合のよいように満蒙権益の拡大を図ったのだが逆に中国人の反感を買いつづけ外国勢力に敵対してナショナリズムの後押しを受けた国民党の北伐の前に傀儡勢力は木っ端微塵に敗北してしまう.結局国民党の前に満蒙権益という野望を打ち砕かれそうになって苦し紛れに起こすのが満州事変です.
    歴史のもしという立場であれば孫文ら国民党勢力の実力をみぬいて彼らを一貫して支援していれば20世紀の東アジアの情勢はずいぶん変わったと思いますが,見果てぬ夢ですね.
    こういち


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