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160 第一次世界大戦中、日本は連合国側にいたのにもかかわらずヨーロッパに派兵しなかったのはなぜですか?第一次大戦では日本はおいしいところだけ持っていったような気がします。
ぱるぱる

  1. はじめからその気で参戦したからじゃないでしょうか?
    とはいえ、海軍はそれなりに活動してます。
    地中海に対潜任務の艦隊を派遣したり、エムデン狩りに協力したり。
    まなかじ

  2. 正確には“陸軍”を、と言うことですよね?
    でもこれはホンの十年前に陸軍の予備役後備、未訓練兵まで動員しての大戦争を戦った弱小日本には国力の限界を超えた空論であったりします。外債を必死に返している日本にはそんな能力はなかったんです。

    陸軍の派遣は動員の作業を行う必要があり産業が瓦解します。
    連合国側も兵器廠としての要求も日本に求めていますから、なまじ陸軍を動員するとこちらの要求が確実に答えられません。

    平時戦力と戦時戦力が編成の問題でやりくりつきやすい海軍と本質的に違うのです。
    ですから本来は「海軍は出した、陸軍は」と言う議論はおかしくて、
    当時の国情からすると立派に参戦して軍も出来うる限り参加させた、と言うことになります。

    参戦しても本当に全く何もしなかった中華民国のような国もありますし。
    美味しいところ、と言うならばこちらの方が上ですね。

    でも、これが海洋国家のそもそもの利点で、英国にしても本気に陸軍を動員して戦争したのはこの一次大戦ぐらいですよ。他は海軍力を主体とした軍事介入、経済的アプローチで常に美味しいところをかっさらって行きます。

    かっぱ

  3. 本当にそうですよね。開戦を決定したのは大隈内閣ですが、あまりのあざとさに国内でも山形や原は反対だったそうです。(最も山形は開戦が決まると熱心な対中介入主義になるが。山形は日露協調主義で戦後の英米の圧力に対抗するつもりだった。だがそれもロシア革命で水泡に帰する)
    大隈内閣の21箇条要求と寺内内閣のシベリア出兵の結果、日本は連合国の一員でありながら国際的には孤立してしまい、戦後の日英同盟の廃棄につなげてしまいます。火事場泥棒のような真似をすると国際的な信頼を失い結局はしっぺ返しがくるということの見本です。
    こういち

  4. >陸軍の派遣は動員の作業を行う必要があり産業が瓦解します

    日本はシベリアに大軍を出してますよ。欧州に派遣せずに領土的利害のある
    シベリアには兵を出すという態度が列国の不信感を買いました。
    それと中華民国の参戦は対日政策なので他国とは意味が違ってきます。
    (もっとも日本の参戦自体も対中政策なのだけれど)
    こういち

  5. >日本はシベリアに大軍を出してますよ。
    あれは逐次投入の結果の大損害。大戦景気も吹っ飛ぶ戦費の増大をもたらしたのです。つまり失敗です。

    これは不味い軍事力の行使であり、四年余にわたり24万もの将兵が参加し、
    戦死5000、負傷2600、戦費9億円を数えたにもかかわらず、何ら得るもの無しと言う結果に終わったのです。
    (参考に、日露戦費15億円、又大戦景気と呼ばれた大戦終結まで4年間の貿易黒字は総額14億円)
    (日露戦費15億円、又大戦景気と呼ばれた大正4年の総輸出額は史上最高の7億円、大正5年は更に11億2000万円であった)

    かっぱ

  6. シベリア出兵それ自体では批判は“あまり”ありませんでした。
    それ以前の派遣を行わないことに対する批判の方が大きかったですからね。

    >日本はシベリアに大軍を出してますよ。
    シベリアへの大軍派遣も、欧州への派遣に必要な量よりは遙かに少なく、
    大軍の定義にもよりますが、平時編制のまま逐次投入、
    4年間のべで11個師団24万人(当時常備兵力21個師団)でこれ以上は無理でした。
    本格的動員、大軍派遣とは別の広域治安出動のようなものでしたから出来たんですね。
    ロシアは3個軍団送ってよこしてくれ、と言っていましたから。

    これも都市部の部隊の派遣はされていませんでしたし、これによりいっそう農村部は疲弊し、
    別の言い方をすれば日本が工業化するという構造変化のきっかけのようなもんです。

    シベリア出兵は日本にとってもまさに行わなければ良かった施策ですが。

    >欧州に派遣せずに領土的利害のあるシベリアには兵を出すという態度が列国の不信感を買いました。
    これは寧ろ戦争終結後に「兵を退かなかった」ことが主として米国の批判を受けました。
    シベリアへの派遣、出兵要請をも日本は散々断っていたんですから。
    でもこれも当たり前でだれが欧州の事情で始めた訳が分からない大戦争に
    そこまで首をつっこまなけれなならないのでしょうか。
    これで恨まれるのは欧州人のおごりですよ。
    義和団事変等散々利用して・・・とか云いたくなりますよ
    利権がないと派遣しないのが列強だったんですが。

    仰るとおり日本は青島攻略、南洋の独領を攻略し、その利権回収に奔走していましたが、
    でもこれも日本がしなければ英仏豪らで再分割されていただけですから、
    これについての批判は彼らに云わせておけばいいのです。
    もっとも青島は兎も角、内南洋が英領なり欧米列強の植民地であったなら或いは太平洋戦争は起きなかったでしょうが。

    >それと中華民国の参戦は対日政策なので他国とは意味が違ってきます。
    (もっとも日本の参戦自体も対中政策なのだけれど)
    その様に単純化して理解していると、その意味では間違っていませんが、
    中華民国の参戦は対日政策、とする研究は私は残念ながら知りません。
    中華民国内の権益の回収と国際的地位向上のために決断されてもので、
    (ついでにいうと日露戦争開戦時も清国の宮中には対露参戦をしようという意見がありました、まあ、義和団の後ですからね)
    確かに、国として(軍隊の派遣等)は何もしていませんが、中華民国が何もしていないことを意味していません。
    参戦し、連合国側に立ったことによって来るべき戦後体制に於ける地位向上、という打算の他、
    人的貢献、クーリー人夫人足の輸出、労働力の提供の面での貢献はもっと知られて良いでしょうね。

    中立国は参戦国に対して中立法規が適用されて拘束されますので、
    中立国ではなく戦争に連合参加することによる公然支援が可能というわけです。
    まあ、これは租界を抱え外資に支配されている中国が、
    中立国だと国際法上そこで生産された製品が全く販売できない、つまり国籍が邪魔だったので参戦させた
    更に中国製品を売りまくりたかったのは、そこに投下している資本が外資であるからという見方もできますが。
    この様な特殊事情下の中華民国の政財界の利害の一致という要素が大きいのでしょう。

    かっぱ

  7. シベリア出兵の経緯はそんなに単純じゃないよ.もともと本野外相は革命介入主義者で天佑論だったからね.英国の要請を受けて共同出兵を1918年2月に各国に提議しているから日本が断っていたという説は何を根拠にしているのかちょっと分からない.この提案は英仏は賛成だったのだけれどアメリカの強硬な反対で頓挫してしまう.その後国内では原敬ら対米協調主義者がまき返して4月の本野外相更迭になり一時見送りがきまるが経緯です.
    これが6月にチェコ軍事件が発生してなんとアメリカが共同出兵に乗り気になったので問題がなくなった日本は一もニもなく出兵に踏み切る.頼まれていやいや出たというよりアメリカの顔色をうかがっての出兵って言うのが正しい認識だと思うよ.あわよくシベリアに親日傀儡政権を作ろうって言うのが目的だから.

    >中華民国の参戦は対日政策、とする研究は私は残念ながら知りません。

    うーん,なるほど.私も中華民国の対独開戦と西原借款の関係について言及していない研究を見たことがないので困ってしまうのですが,当時の中国の軍閥混戦時代はなかなか情報がないので簡単に解説しましょう.

    1916年の袁世凱による洪憲帝政で幕を開けた軍閥混戦の時代に当時の中国はあり,三国時代を彷彿とさせる大混乱状態です.ですから財界とか中立と言う状況では全くない.その様な情勢で当時の寺内内閣は援段政策をとり当時の首相段祺瑞(一発変換ATOKえらい!)に1917年から対独参戦を働きかけたのが発端です.段祺瑞は日本の援助を元手にして全国統一を目指す方針を立てたのでこれを受け入れたがこれを売国的とみる反対論が出現.復壁(漢字が出ない下の土はいらないよ)クーデターと府院の争を乗りきった安薇派の段は日本からの西原借款と引き換えに対独参戦に踏み切ります.
    しかしこれは中国ナショナリズムの高揚の中で激烈な批判にさらされ孫文の広東軍政府や奉天派の張作霖などが割拠します.もはや統一政府は何処にも存在していない.反日ナショナリズムの高まりは後に5・4運動につながり結局段祺瑞は支持を失い安直戦争で失脚する.結局日本の莫大な借款はほぼ全て焦げ付いて終わる.

    中国が参戦したのは日本の圧力が原因なので日本人が中国はおいしいところだけもっていったって言うのは問題があると思うぞ.借款にしても安薇派はそれでよくても広東派や奉天派から見れば敵対行動以外何者でもない.
    これ以降も日本は次々と相手を乗り換えて支援をするのだけれど日本が支援すると支持を失って負けると言うパターンの繰り返しで中国人の恨みを買うだけで何も得るところがなかった.
    こういち

  8. シベリア出兵に批判がなかったと言うのも変だな.1918年の段階で出兵論がやかましかったのは事実ですが,1919年には益の無い無名の師であることが広く認識されたと思います.よく知られるところでは最初熱心な出兵論者だった黒竜会が1919年には強硬な撤兵を主張したなんてのがあります.
    実際行ってみたら反革命のロシア人なんてごろつき集団で戦争するより強盗するのに夢中になってるから幻滅してしまったんだね.結局これで得をしたのはロシア帝国の財宝をかっぱらってきて懐に入れてしまった田中義一ぐらいだろう.この後しばらく反軍思想が蔓延するのもシベリア出兵が大きいでしょう.
    こういち

  9. > シベリア出兵に批判がなかったと言うのも変だな
    私もそう思います。
    ところでこんなこと言ったのは誰ですか?
    かっぱ


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