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150 大岡昇平の「レイテ戦記」には、終戦後生きてカンギポット山から出てきた兵隊は一人もいない、と書かれているのがちょっと信じられないのですが、本当でしょうか。数万の兵が全部餓死したのか、それとも出てきたのは片っ端から比島人に殺されてしまったのか.....
Sampon

  1. レイテ戦記にも書かれていますが、厚生省復員局調べで0という事は
    本当にいないのでしょう。もともと人がほとんど住めない地帯に
    数万の人員が半年以上いたのでまさに地獄のような状況に
    なっていたのではないでしょうか。
    現在いくつか出ている体験記は地号作戦で撤退に成功したものか
    脱走して小船で他の島に渡ったものしか読んだ事がありません。
    もっとも給養されるであろう師団司令部人員ですら生還していないというのは
    凄まじいですね。
    こういち

  2. こういち様、ご回答ありがとうございました。カンギポット山は、比島戦の中でも一番悲惨な状況を呈していたのですね。機会があったら、レイテ島に慰霊に行きたいと思います。
    Sampon

  3. >機会があったら、レイテ島に慰霊に行きたいと思います。
    Samponさんはレイテ島の遺族と何らかの関係がおありなのでしょうか。
    わたしは祖父が佐倉連隊で玉砕しているらしいので、
    (祖父は補充兵だったので詳しいことはほとんどわからないのです)
    レイテ島にはひとかたならぬ思い入れがあります。
    ですから私も将来レイテの慰霊だけはかなえられたらと思っています。
    こういち

  4. いいえ、私の親族では誰も戦死しておりませんし、レイテ島関係者はおりません。ただ、ガ島とサイパンでの遺骨収集に参加したことがあり、戦没者慰霊には多大な関心があります。
    Sampon


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