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ミッドウェー海戦の時、日本機動部隊は相次ぐ兵装転換命令により戦機を失い、米急降下爆撃機の爆撃により赤城・加賀・蒼竜が被弾したと言うのが一般論ですが、ある本(忘却)に「兵装転換は実際には行われておらず、敗北の理由として作られた話である。」と書いていたのですが、このことについて何か知っている人がいたら教えてください。 (防衛庁の戦史関係者の間では暗黙の常識とも書いていました。) 彦衛門 |
kazu
家から書ける環境がなくなってしまったこともあって、職場から。よって、
全て記憶にたよっています。
>赤城、加賀、飛龍の飛行長と蒼龍の雷撃隊長の四者による会談が軍事モノの
>雑誌に記載されていました。
これは多分、「蒼龍の雷撃隊長」じゃなくて、当時蒼龍乗組で一飛曹の森拾三
さだと思いますよ。その「雑誌」とは、私の推測が当たっていれば、丸の「戦
史と旅」とかいうやつの記事だと思います(記事そのものは、過去の丸のもの
を持ってきているはず)。それ以外の参加者は、増田赤城飛行長、天谷加賀飛
行長、川口飛龍飛行長だったかな。楠本蒼龍飛行長は、755司令としてグアムで
戦死していますので。
もっとも、この記事、どうも参加者の発言は史実のそれとの遊離がある部分も
あって、全面的に信用するには至らないように思いました。
>あれが嘘でないなら「兵装転換」は本当にあったようです。ただし、米降下
>爆撃機隊に急襲されたとき兵装転換の真っ最中だったので、「あと何分か早
>ければ」などというレベルではなかったようです。
で、こちらですが、
>ある本(忘却)に「兵装転換は実際には行われておらず、敗北の理由として作
>られた話である。」
の「ある本」とは、女性の作家であるところの澤地久枝さんの著作(「記録ミッ
ドウェー海戦」とか「海よ眠れ」(ちょっと題名に自信なし))だと思います。
数年前、知人とこの件で随分議論をしましたが、結局澤地説は論拠不十分という
結論に至っております。無論、草鹿参謀長が書くところの「あと5分で」とかいう
話なり、淵田奥宮著作などが全ての真実を語っているわけではないですが、雷爆
転装はあったと解釈するのが、妥当な気がします。
結局、「本日敵情特に変化無ければ第二次攻撃は第四編制にて実施」(正確に覚
えていなので、間違っていたらごめんなさい)という「予令」の解釈、それから
戦闘詳報における矛盾が彼女の論点だったように思いますが、前後のリサーチが
足りなくて、結局雷爆転装を否定するだけの考察には至っていなかったように思
います。
「暗黙の常識」がなんであるか厳密に分かりませんが、戦史叢書の「ミッドウェ
ー海戦」の執筆者の角田求士氏(海兵55期)は、同書において言外に「あと5分」
云々を否定していると見てよいと思います。
もしかしたら、私の知人が詳しいことを書いてくれるかも。(^^;)
今泉 淳
ミッドウェーの藻屑
あー、ミッドウェー作戦に件でこの人が何か書いている話は聞いたことがあり
ますね。でも、彼がどこまで説得力ある議論をしているかについては、小生は
知るところはありません。
また、確かに第一航空艦隊戦闘詳報に誤記や勘違いによる記述が含まれている
ことも事実なのですが、完全にそれを論破して「嘘だ」と言えるような議論を
している人は、寡聞にして存じません。
ちなみに、
> 「本日敵情特に変化無ければ第二次攻撃は第四編制にて実施」
正確には、
「敵情に変化無ければ 第二次攻撃は第四編制を以って 本日実施の予定」
ですね(戦史叢書を見ながら書いてます)。また、
>「海よ眠れ」
「滄海よ眠れ」だったかな? (これも怪しいかも)
今泉 淳
彦衛門
↑の件は、数年前知人と大激論を(メールで延々と)やりまして、細部において
疑問を残したままである前提で、小生の見解を述べます。また、いくつかの仮
定や前提があるのですが、それらをいちいち説明している余裕はないので、と
りあえず書けることを書きます。
>〜第二次攻撃は第四編成を以って〜 の第四編成とは、第一次攻撃隊が出発
ちなみに「編制」ですので。
>した後に「第二次攻撃隊用意」のスピーカーで、飛行甲板に艦船攻撃兵装で
>待機していた飛行隊のことですか?
一応そういう理解をしていますが、細部においては様々な条件やらがついた
上での「理解」ですので、必ずしもそう断言はできていません。
# ちなみに、厳密には「飛行機隊」が正しいと思いますが。
一般には編制をもって兵装は定まらないと考えるのが、私の立場です。
すなわち、編制が決まっても、それは各艦が何の機種を何機出すかと
いうことが決まるだけであって(それによって指揮官も決まる)、それ
にどのような兵装(魚雷か爆弾か、爆弾にしても通常爆弾か陸用爆弾か。
さらには信管の種類とか)を施すかは別問題だと考えます。
戦史叢書「ミッドウェー海戦」ではその辺りを読みとることが非常に難
しく、海戦後作成された飛行機隊行動調書とか戦闘詳報を元にして記述
されている本作戦の飛行機隊の編制の計画部分は、その辺りがごっちゃ
になっていて、あたかも編制を指定すれば兵装が決まるように見えるの
ですが、私はそこには考慮の余地があるように思っております。
そういう意味でもう少し解釈を広げるならば、「『第四編制』の予令そ
のものが陸上攻撃を意味するものでは必ずしも無い」という解釈も成立
します。ただ、この部分は戦史叢書がそう書いているように、恐らく陸
上攻撃への兵装転換を予令したものと解釈するのが、私自身も自然のよ
うに思っています。
ちなみに、第一航空艦隊戦闘詳報には、確かに上記の「第四編制」のく
だりはあるのだと思うのですが、一方で母艦にて対艦攻撃待機の編制を
「第一編制(指揮官赤城飛行隊長)」などとしており、これらの矛盾が
何を意味するのか、まだはかりかねています。また、戦闘詳報そのもの
に信頼が置けないのでなんとも言えないのですが、少なくとも雷爆転装
の過程で、上記「第四編制」を「第一編制に変更」などという命令は一
切出てこないはずなので、上記の「第一編制」そのものがどういう位置付
けなのか、じっくり考えてみたいと思っています(自分自身で仮説はある
のですが)。
ちなみに、澤地さんの論点はこういう上記のような矛盾に起因するもの
なので、彼女の考察は「甘い」と考えます。
今、これらの疑問点を私なりに解釈する方向で研究を進めんとしており
ますが、それが表に出せるのはまだまだ先になりそうです。
>だとしたら、米機動部隊が出現しなけれ
>ば(敵情に変化無ければ)基地攻撃兵装にきりかえて、もう一度ミッドウェ
>ーを叩こうと計画していたということですね?
多分そういうことなのではないかと思います。もっとも、その「予令」という
ものの性質を吟味する必要があって、この「予令」を以ってすぐに対陸攻撃兵
装に転換しだしたとする判断(澤地さんはそういう論調だった気がします)は、
早計に過ぎます。というのは、「予令」そのものは海軍(というか1AF)では珍
しいものではないと小生は一応心得ておりまして(厳密に言い切れないのです
が)、正式な命令をもって兵装転換作業を行うのが本旨だと考えております。
あと「計画していた」というのは、実は「そうです」と答えづらい気がしま
す。といのは、基本的には母艦に控置された約半数の飛行機は、基本的には
敵空母を叩くために残されたものではあるものの、敵情というのは、前日の
状況判断や当日の陸上攻撃の結果など様々な要因があるわけで、それらの可
能性に応じてどのような方策を採るべきかオプションを予め示す必要がある
からです。よって、どこまでを「計画」と解釈すべきなのか、史料の解釈上
の問題や解釈する人の判断などの問題を包含すると考えます。
>それで総指揮官友永大尉は戦
>果不十分とみて「第二次攻撃の要あり、0四00」と電信したわけですか。
この件は、兵装云々とは無関係ではないかと思います。ミッドウェー島の攻
撃を一義とする第一攻撃隊指揮官として、艦上待機の飛行機隊が対艦攻撃の
兵装をとりつつも陸上攻撃への変更があり得る、ということを前提に上記の
打電をしたのではなくて、純粋に攻撃成果が不十分であると認めたのだと思
います。
今泉 淳
彦衛門
彦衛門
やミッドウェー海戦の直接的な考察が主であるように感じます。これは、
執筆や構成の問題上やむを得ないことだとは思いますが戦史叢書において
もそうで、小生が考えるに、本海戦の研究は南雲機動部隊そのものをきち
んと研究しない限り解明し得ない点が多数あると考えます。
もしかしたら、既に史家が研究の結果をなんらかの形で著しているのかも
しれないのですが、少なくとも書店で買い求めることができる書籍の類に
おいて、結論はともかくとしてその思考過程や考察内容について私が満足
いくものはありません。唯一澤地久枝さんの著作は、氏の緻密な筆致に関
して関心したものですが、彼女の興味が多くの人が連想する、ミッドウェー
海戦に関する研究とは異なるという面もあり、さらに左記の「研究」という
側面において必要な史料調査、及びそれに対する検証や考察が、一部思い
込みによって、完全に結論が変になっている可能性がありまして(可能性と
いう表現は、やや甘い表現かもしれませんが、私自身真実を明らかにして
いない以上そう書きます)、やはりそれを信じるわけにはいかない悟りまし
た(知人の教示に依るところが大ですが)。
雷爆転装の有無のみならず、今後当時の機動部隊の実情なりなんなりをき
ちんと調べてみたいと考えている今日この頃です。
今泉 淳
補足です。
>防衛庁の戦史関係者の間では暗黙の常識とも書いていました。
日下公人氏がどのようなことを書いているのか知らないので、上記が何を意味す
るのか詳らかではないですが、一般に研究者等によってより真相に近いことが明
らかにされている可能性は、小生自身は否定するものではありません。すなわち、
論拠や根拠あるいは仮説などを、全て一般の書籍に求めようとするから「暗黙」
の常識が我々の目に触れないのかもしれませんし、既に研究者はその点を明らか
にしてしまっている、なんて可能性もあるかもしれません。
ただ、それを本当に「そうだ」という、すなわち「明らかにしている」と主張す
るならば、その論文なり何なりを示して、「ここにこう書いてあるから、私はか
ように思う」とするのが、少なくとも物事を論じる上での基本ではないかと思う
のであります。
しかし、その意味で残念なことを示唆するのかもしれませんが、小生が挙げた澤
地久枝が唱えてた「運命の五分説は嘘」説(毎日新聞、サンデー毎日、文芸春秋
などに掲載された)について、その直後以降、特に研究者らしき人から反論があっ
たようには思われません。
澤地さんの説は色々な面にわたっているのですが、小生が要約するに「あと5分
で攻撃隊が発艦できたとする話は嘘」「そもそも、対艦兵装ではなくて、対陸装
備で待機していたのではないか」という部分に集約できるかと思います。前者に
対しては、言外に戦史叢書がそれを肯定(すなわち、運命の5分と言われるほど
きわどいタイミングでは必ずしもなかった)しておりますが、後者に関しては、
研究者から反論のような指摘がマスコミで紹介されたとの話は私は知りません
(どなたかご存知であればご教示下さい)。
もし「常識」であるならば、それが仮に専門的に過ぎるとしても、なんらかの
形で「反論」として研究者の方に公の場で表していただければ良いのではない
かなあとも考えるのですが、どんなものでしょうか。
今泉 淳
彦衛門