QQCCMMVVGGTT
144 WW1時では「遅れた農業国」だったロシアは、WW2時ではT-34やIL-2などを大量生産する工業国ソ連へと見事に変身しています。その経営管理や生産管理に何か特筆すべきものはあったんでしょうか。
私が知っているのは「アメ」としての、スタハノフ運動に象徴される差別的出来高給制とか「ムチ」としてのストの禁止、そして農村からの労働力の動員くらいです。よろしくお願いします。
なんでや?

  1. T34とIl2とバラライカだけ作るんなら
    他の国でも、そんなに差は無かったかもしれません>日本では無理だが
    似た規模の人口で、もっと多種多様なものを開発生産し
    他国にまで大量に供給した米国と比べたら
    第二次大戦のレベルでも「遅れた農業国」では?

    SUDO

  2. 開戦前からソ連はドイツより五割程大きな経済力のある立派な大国ではありませんでしたか。
    その大国が軍需部門に集中した故のT34なりシュトルモビークであって、それによる他の部門の崩壊を何とか食い止めたのがレンドリース物資だったのではないでしょうか。
    生産管理の手法などに付いては私も特に答えられません。
    BUN

  3. 特筆すべきもの、ですか。
    女性の動員は日米英でもやっていること(第一線での戦闘勤務はソ連だけですが)ですし、特別なことは何もしてないでしょう。
    熟練工の引きぬきはしていないはずですが、そんな馬鹿なことをやっているのは日本くらいなもので。
    ソ連製の兵器の特質は、『キモ』の部分だけはきっちりと押さえておいて、ほかは低品質で済ませているところにあると思います。
    戦車であれば、装甲と砲、エンジンだけは手を抜いていませんが、照準器は怪しいし、変速機は操作困難、鋳造砲塔も前面はともかく後ろのヒケは合格、無線機も怪しい(下手すりゃナシ)
    シュトルモヴィクでも、エンジンと武装は確実でも、防弾ガラスは氷砂糖…は行き過ぎとしても透明度が低い代物、機体の仕上げも最低限。
    そういう意味では、生産管理における「特筆すべきこと」は、そうした見極めをきっちりとしている、ということになるかもしれません。
    米英であれば手抜きはしても平均的にそれなりの丁寧さでやっているでしょうし、ドイツであれば何もそこまで…というところまで手抜きをせず、日本であれば手抜きしているつもりはなくても生産管理も品質管理もあったものじゃない。
    そう考えれば、ソ連の特色として、手抜きできる、手を抜いてもよいと思われるところは限界まで手を抜く、という点があるのではないか、と。
    まなかじ

  4. 余談なのですが、ソミュールで実車を見比べて、T34/76の方が、パットンなんかより各部の仕上げが奇麗なんです。良く粗製濫造の如く言われるT34の鋳物部品が戦後のM48より物として上等なのですよ。
    いい加減な仕上げの部品が横行するのはT34で言えば後期の85に多く、ソ連が本当に崩壊に瀕したのは戦争初期ではなくて、戦争末期には人的資源を筆頭に力尽きつつあったのではないかと、ふと思いました。
    BUN

  5. 何が理由だったのかわかりませんが、こと航空武装に関しては注目すべき技術を持っていましたね。
    あまり知られていませんが 7.7mm ShKAS は当時世界最高の 1,700rpm を誇り、ShKAS から発展した
    20mm ShVAK は同調装置も持ち MG151/20 に優るとも劣らぬ機関砲、12.7mm UB は同調機銃から
    旋回銃座まで使われブローニング M2 なみの汎用性を示し、23mm VYa は Il-2 に積まれてその
    重量徹甲弾で多くのドイツ戦車を屠っています。
    一方英国の 12.7mm はアメリカのライセンス、アメリカの 20mm はイギリスのライセンスであり自国
    では設計していません。日本の航空機銃は種類ばかり多くて(しかも弾薬に互換性がない!)、
    12.7mm は海軍と陸軍で別々にブローニングをコピーし、やっと本命の 20mm ホ5や99式2号5型が
    できた時は終戦間近という体たらく。イタリアの 12.7mm は信頼性が低いことで定評があり 20mm は
    MG151 のライセンス。こうして見るとソ連に対抗できるほどの航空機銃開発力を見せたのはドイツ
    だけです。ソ連が「遅れた農業国家」であったとは思えません。でも、何が理由だったのかはよく
    わかりませんね。もしかするとスターリンによる独裁政治によって組織間の軋轢が少なく、開発力を
    特定分野に集中できた(180度逆なのが日本のパターン…陸軍と海軍、更にそれぞれの縦割り
    機関で取り合ってあたら少ない開発力を分散してしまった)ことがプラスに働いたのかも知れません。
    ささき

  6. 14.5mm銃もありましたね。役割はなんでしょう。
    んるとまき

  7. 14.5mm は対戦車ライフルでは?
    ささき

  8. KPV14.5mm重機関銃がありますね。主要用途は対空用ですが、アメリカのM2より射程が長いので
    朝鮮戦争やベトナムでアメリカさんが嫌がった鉄砲だそうです。
    大塚好古

  9. ソ連の社会、生産体制の面から考えられる理由をいくつか上げてみます。
    1 1930年代、国家及び共産党の指導により重工業分野の大規模な生産施設が計画的に各地に建設され、鉄鋼や兵器等の大量生産体制が築かれたこと(反面、農業や軽工業の発展は後回しにされた)。重工業に資源を集中すると共に、各種の工場を集中し一貫生産を行うコンビナート方式を積極的に取り入れることにより、資本主義国以上の大工場が造られて行ったわけで。
     ちなみに、第2次大戦中のドイツの軍需産業メーカーは比較的小規模なものが多く(下請が町工場で行われていたりする)、技術水準は高くても生産コストが高かった。軍需相シュペーアはメーカーの反発を押し切ってまで生産体制の大規模化、効率化に腐心したそうだが、ソ連の場合は工場長の首を挿げ替えることくらい簡単だから非常にやり易かった。
    2 1と関係するが、ソ連では革命後も準戦時経済体制が敷かれ(第2次大戦後、ソ連崩壊までも同様)、重工業や軍需生産の発展に都合のよい環境が造られていたこと。国民への消費財配給を節約する代りに最大限の資源を重工業の発展に向けていた。第2次大戦直前、本格的戦時経済体制に移行するのもソ連が最もスムーズだった。
    3 科学アカデミーを中心に大量の技術者養成を進めるとともに、コムソモーレッツ(共産主義青年団)等による共産党に忠実な中堅幹部の養成を行い、研究開発や生産・建設現場での指導に当たらせたこと。
    4 アメリカからの技術援助により、戦車のブロック生産方式等の生産技術を積極的に導入したこと。なお、ソ連は大戦の頃から冶金工学は世界トップクラスだったそうです。45年頃、エレクトロ・スラグ鋳造法という極めて不純物の少ない高強度の鉄鋼を生産する当時では世界最先端の技術を開発し、戦後に生産された戦車の装甲に使われました。
     要するに、ソ連という国家自体が規模経済の追求や軍需生産にとって非常に都合のよい体制だったわけです。冷戦の頃、とある研究者が「西側諸国にも軍産複合体があるが、ソ連は軍産複合体そのものだ」と言ってました。その一方、消費財生産の発達は進まずソフト化経済に対応しにくかったことが70年代以降のソ連経済衰退の要因だろうけど。

    アリエフ

  10. 皆さん回答有り難うございます。ボルシェヴィキの独裁はいろいろ問題はあったのでしょうが、短期間であれだけの工業化を達成したのは大したもんだと思います。東南アジア諸国などにみられる開発独裁なんかも似たような例なのでしょうが、問題はあるものの、確かにそれなりの成果をあげています。徒に負の側面だけを強調すべきではないのでしょうね。
    なんでや?

  11. 余談ですが、大金喰らって、しかも、産業に直接結びつかない鉱物学や結晶学などの学問分野はソ連の独断場でした。これなどは共産国家の良い面が現れた例と思います。大例外はスターリンに取り入ったルイセンコがイデオロギーと学問を混同し、学界を無茶苦茶に荒らした分類生物学と系統進化学で、これは今日のロシアのバイオテクノロジーの遅れにまで影響を及ぼしていますが、また別の機会に。
    無頼庵


Back