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121 第一次大戦および第二次大戦中に、各国は戦費の調達のために戦時国債を発行しましたが、戦後その償還はきちんとなされたのでしょうか。また、戦後において、敗戦国でも軍需物資調達に関する買掛債務を国は弁済したのでしょうか。さらに、戦争中に徴兵された場合、給与は国もしくは勤務先のどちらが支払ったのでしょうか。(質問が多くてすみません。)
なんでや?

  1. 戦時国債について、第二次大戦後の日本では超インフレが発生したので紙屑になってしまいました。これを上回る第一次大戦後のドイツでも同様でしょう。また、第一次大戦後のアメリカでは経済学者ケインズの提案により、高金利の戦時国債を償還せず低金利の国債への交換を行ったそうです。他の戦勝国でも似たようなことを行っているのでは。
    アリエフ

  2. あと、戦後のインフレにまかせてチャラにして済ませた制度としては、徴兵保険があります。徴兵中の給与から、戦死時の保障まで幅広くカバーした内容なのですが、成り立ちそうもないこの制度が国策として奨励され、僅かな加入期間でも保険金の支払いの対象になれました。そして保険金は実際に支払われたのです。もはや問題にならないような契約通りの金額で。
    BUN

  3. ロシア革命後、ソ連が第一次大戦のロシア帝国の対外債務を引き継ぐことを拒否し外国からの借金を踏み倒した例もあります。これが革命後のソ連に対する英仏等の諸国による反革命軍支援の理由の一つになりました。
    アリエフ

  4. アリエフさん、BUNさん、回答有り難うございます。買掛債務も同様にインフレでチャラになったんですかね。    
    自分でも調べてみたのですが、第二次大戦時のドイツでは、第一次大戦後の超インフレの経験から国民に戦時国債に対する根強い不信感があったことを考慮して、消費財の生産縮小により国民の購買力を貯蓄に向かわせることで、戦費の調達を図ったそうです(軍需物資増産の必要性からも、縮小せざるを得なかったということもありますが)。そして、占領地から強奪した物資(例えば、食料品)を国民にも配給することで、消費財の生産縮小に対する国民の不満を抑えたそうです。また、その標語は「戦時は節約して、戦後に家(車)を買いましょう」という夢のあるものでした。どこかの国は「贅沢は敵だ」という夢のない標語を採用し、「贅沢は素敵だ」と揶揄されましたが、この違いは国民性からくるものなのでしょうか。表面上はストイックな価値観をよしとする、日本人の気質が現れているような気もします。              
    もっとも、気の毒なことにこの夢は実現せず、幻に終わってしまったのは周知の通りです。しかし、国債を無理やり買わせたり、増税したり、賃金をカットしたりするより、よっぽどスマートな方法ですね。                 
                                        
    〉3                                   
    ソ連が第一次大戦のロシア帝国の対外債務を引き継ぐことを拒否したのは、表向きは「関係ないから」というのが理由なのでしょうが、本音はそれが外貨建債務であったため、インフレでチャラにできなかったからなのではないでしょうか(どの
    みち、最初から払う気はなかったということに、変わりはありませんが)。                     

    なんでや?


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