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ロシアでは、ピョートル大帝以来の西洋化政策で、多数のヨーロッパ系技術者が移民したと聞きます。 ということは、ドイツ人移民も多数居たと考えられるのですが(ペテルブルクという都市名もドイツ語ですし)、41年6月 の独ソ戦開戦時、ソ連政府はドイツ系ソ連人を「敵性民族」と扱って迫害なんかしたのでしょうか?
うるける
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- ロシア・ドイツ人は、1930年代後半にスターリンによる政治的迫害を受け、逮捕や射殺、ドイツ文化、宗教の弾圧が行われています。そして41年にはヴォルガ・ドイツ人、ウクライナ・ドイツ人など約90万人が「スパイおよび反動的怠業者」としてシベリアやカザフスタンに強制連行され、その道中では約3万人の人が死にました。42年から43年に、一部のロシア・ドイツ人たちはシュレージエンに移り住み、35万人がドイツに逃げたが、彼らは終戦後、連合軍によってソ連の特別収容所に送られました。その収容所は1955年に廃止され、翌年彼らは再び開拓が許されたが、元の土地に戻ることはできませんでした。彼らも、ユダヤ人やクリミア・タタール人などと同様、スターリン時代に敵性民族として弾圧を受けた民族の一つです。
アリエフ
- アリエフさん、解説有難う御座いました。(質問者)
うるける
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