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日系人部隊のフランスでの戦跡について教えてください。別のウェブサイトでボージュ(ボージェ)山中における、という写真を見ましたが、どこから来てボージュのどこで戦ったのかわかりませんでした。ボージュで戦ったとするとさらにアルザスからライン河を越えてドイツに侵攻したのでしょうか? SHI
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- 日系米国人第442連隊ですが、7月にイタリアで第34師団の指揮下でリヴォルノ攻略に参戦し8月にピサ、フィレンツェ付近のパトロール任務に就いた後、フランスのボージュへ移動しました。第36師団の指揮下に入り10月15日からブリュエール、ベルモント、ビフォンテーヌを攻略しました。又この時連隊のF,L中隊は奇襲に成功し大統領より部隊感状を授与されています。24日に損害多数により交代し休養に入りましたが、同じ日に第141連隊第1大隊275名がビフォンテーヌ東方3キロの地点で敵に包囲されてしまい(この時点で”失われた大隊”と呼ばれた)26日にこの救出作戦に参加する事になりました。森林地帯での前進は困難を極め”失われた大隊”の所にたどり着くまでに兵力が半減するほどの損害を被りました。15日からの損害総数は戦死行方不明約200名負傷約1150名の多数に上ります。そしてこの”失われた大隊”救出作戦は国防総省によりアメリカ陸軍史上十大戦闘の一つに指定されています。(もっともこの戦いが選ばれたのは日系人連隊に救出の全責任を負わせた負い目を償うためとの見方もあります) 救出後11月に第36師団の指揮を離れニース近郊での警備任務に就き戦力回復に努め45年3月に再びイタリア戦線へ向かいました。
KAY
- 今日(10月8日)のNHK教育「日系二世の星条旗」で、この442連隊の悲劇が取り上げられていました。まさしく懲罰部隊とも言えるような扱いをされていたのですね。
アリエフ
- 随分時間がたっていますが、どっちコーナーのうるける様からの情報と合わせて【ボージュのどこ】については具体的に場所が特定できたので書き込みます。『失われた大隊』の森はストラスブールの南東65キロにあるサン・ディー(St.Die)から更に南東15キロ付近で、ドイツ文化圏のアルザスとフランス本土を分ける最高地点でも1500m位、なだらかな山容のボージュ山脈の山の中で、地図によると直訳で広場の森(Foret de Champ)と呼ばれるあたりのようです。442連隊が解放したブリュエール、ベルモント、ビフォンテーヌ(おそらく町というより村)といった地名はこのすぐ西に散在しています。このあたりはラインの支流であるモーゼル川の源流地帯で景色の良い所です。ジェラルメーというきれいな湖はこの一寸南でおそらくこの湖はミューズ河の源流です。連合軍がここからアルザスに向けて進撃開始したのが1944年11月、直線50キロ東のコルマールを解放したのは1945年2月ですが、442連隊が『失われた大隊』救出後ここから南仏、イタリアに転戦したのならアルザスの戦いには参加しなかったという事ですね。
余談ですがサン・ディーの北東30キロのバカラ(Baccarat)はクリスタルガラスやガラス製品で有名で東京のデパートにも専門店があります。近々バカラも含めて現地調査の上、何かあったら報告いたします。
SHI
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