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西南戦争の名の由来は、どこからきているのでしょうか? 発生した場所(九州南部=東京から見て西南の方角)なのか、叛乱の首謀者「西郷南洲」の名前なのでしょうか? U−2K
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- これ、いい質問なんですよね。思わず調べてみたくなるんだけれど、感想だけ述べてしまうと、「西郷の鎮魂のためにその名が戦争名に込められた」との説を取りたいですね。その武勇を讃えられて、西郷は悪霊とならずに護国の神の一人となったと解釈したい。
BUN
- ↑ただし、公式には西郷は護国の神にはなっていません。反乱軍の首領ということで、靖国神社にはまつってもらえないのです。このように「維新の功臣を粗末にする」神社本庁/靖国神社の方針に対して、鹿児島の右翼団体がはるばる九段まで街宣車を乗り付けて抗議行動をしているのを見たことがあります。
Schump
- たしかにそうなんだけれど、西郷の「宗教的利用」は実際に行われていて、彰義隊の最期の地、上野の山にあの銅像が建てられていることも見逃せませんよね。やっぱり夷をもって夷を征する、ということなのでしょうか。
BUN
- 菅原道真の例もあるように、日本には無念の死を遂げた人を敵味方の別なく神様にする風習がありますし、結局、征韓論は実施されてしまったので、無下に反乱指導者扱いもできなくなったんですね。そういえば、上野の銅像は、序幕の瞬間、列席していた西郷未亡人が「似てない」とつぶやいたという伝説の品。
さて、方角説について「普通『南西』っていうよね。方角の呼び方は」という指摘がありましたが、正確なところは分かりません。
Schump
- 鹿児島出身の正統派歴史好きに聞いたら方角説即答でした。彼によると当時は西南という言い方が自然だったんだろうと。そう言えば早稲田大学も都の北西ではないですよね。
SHI
- 方角についてですが、南北を先に言うのは、欧米式であり、漢語では東西を先にもってくるのです。(東北地方など)
ひもと
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