QQCCMMVVGGTT
83 |
あのよく重大事を天皇の前で話し合いう御前会議では天皇陛下は意見を発言できないって本当ですか?天皇陛下はただのお客さんなのですか?
|
- 御前会議での発言は原則的に控えていたようですが、昭和天皇独白録などを見ると、「雲南あたりで反撃を企画してはどうか」とか「陸海軍の連携がうまくいってないのではないか」等とそれなりに具体的で鋭い発言が残されており、戦争指導に対して見識があったことがうかがえます。
- 昭和天皇は、自分自身を立憲君主制における君主だと強く定義していたようです。発言できなかったのではなくて、なるべく発言しないようにしていたのでしょう。
- 結局、発言をしますと上意下達になってしまうおそれがあり、専制君主化の危険性があったとのことです。
- 御前会議じゃないけど、沖縄戦時に海軍が航空攻撃(もちろん特攻)の計画しか言わなかったので、心配した昭和天皇が「海軍にもう船はないのか?」と聞いたことが「大和特攻」につながったくらいだそうだから、うかつなことは言えないんでしょうね。
- 昭和天皇が自らの意志で決断を下したのは、たった2回、5.15事件の早期解決命令と、終戦の御聖断だけだったとか。
- 下の方、5・15事件じゃなくて、2・26事件ですよ。天皇が御前会議で発言し、それを実行した結果、失敗したら、天皇に責任が及んでしまいます。それを避けるために、発言しなかったのでしょう。
- あれ?2.26事件でしたか?たしか、5.15事件の時に「自分の重臣を殺害するとは何事か」と怒ったんじゃなかったでしたっけ?
- ↑二・二六で間違いないと思います。「朕が股肱の臣を殺した青年将校を許せというのか。」は27日におそらく陸軍大臣に仰せられたものです。(三島由紀夫「英霊の声」)
- 昭和天皇は御前会議においてしばし重要な発言をしています。しかしそれらは御家紋
- 昭和天皇はしばし御前会議の席上で重要な発言をしております。その多くは御下問という形でした。こういうシステムが始まってしまったのは昭和2年の張作霖暗殺を陛下がお叱りになり、時の首相田中義一が辞職したのがキッカケでした。英国風の立憲君主制度を理想とされた陛下
Back