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81 (別のAnsQで出た話で)レイテ沖海戦で小澤機動部隊を追撃したハルゼー機動部隊が高速戦艦部隊を日本艦隊追撃の為に分離した事実はあったんでしょうか?、あの追撃隊はデュボース隊(重巡2隻、軽巡2隻、駆逐艦9隻)で戦艦はいなかったと記憶しているのですが?

  1. 二五日未明に日向以下がインデペンデンスの偵察機に発見された時点で高速戦艦部隊を抽出し砲戦部隊(第34部隊)として先行させています。この時には瑞鶴以下は健在で、正確な位置は把握されていなかったようですが、ハルゼーの司令部はは陸上基地の攻撃も含めて日本機動部隊からの攻撃と判断していたといいます。追撃、ではないですね。BUN


  2. ちょっと疑問に思います。世に名高い「第34任務部隊」の事を指している様ですが、あの部隊はいったん西方に退避し再反転した栗田艦隊(ハルザーが言うところの「中央部隊」)を待ち伏せする為に編成した水上打撃部隊(戦艦ニュージャージー他3隻重巡2隻、軽巡3隻、二個駆逐隊)の筈で24日の午後に編成された筈です(この時点では、まだ小澤艦隊は発見されていません)


  3. その直後に北方部隊(小澤機動部隊)を発見し(PM5時)、ハルザーは“ブル・ラン”で北方へ突進、その後、有名な「第34部隊はいずこにありや?」の電報で自ら第34任務部隊を率いて全力で南下するハメになる訳ですが、ただ、この部隊がハルザー機動部隊として北方に突進したのは事実として先行させた気配が無いのですが?。以上は「ビックマンスペシャル連合艦隊:小澤機動部隊編」が参考です、本書を鵜呑みにする訳では無いのですが、BUNさんの、小澤艦隊の発見が25日未明で砲撃隊の抽出、先行がその後とする根拠はなんなんでしょう?


  4. 解った、参考にしていた資料の記述の差が先のすれ違い議論の原因のようですね。成る程。で、25日にこの部隊、北上はしていないのですか?BUN


  5. 前後しますが小型で便利な第二次大戦海戦小史 木俣滋郎(例の文庫を手もとで読んでたんです)でした。もうちょっと権威のある奴じゃないと駄目かな。BUN


  6. ↑木俣滋郎さんは信用出来る筈ですけどね^^;(私好きです)、それで北上したハルザー麾下の各部隊の軌跡を見ると、例のデュボース隊以外は分離先行した様には見えないのです、それにハルゼー自ら乗艦して南下したって事は本隊と一緒だった様にも思うのですが?。まあ、この件は一冊だけじゃ信用出来ないので他の本も当たってみます。


  7. ちなみに引用していて言うのもなんなんですが、「ビックマンスペシャル連合艦隊」は、最近はだいぶ良くなりましたが細部の記述はあんまり信用していません^^;(だってF4Uコルセアが水平速度で零戦に劣るって書いてるしーー)


  8. そうなんです。私もシーパワーの撃沈戦記以来のファンなのですが、艦隊の機動については何か一次資料を参考にしている(奥宮某氏が戦史叢書引き写しで一冊仕上げたように)と踏んでいたのです。通俗戦記は参考にせず、との方針を再度戒めとしようかな。


  9. 木俣滋郎氏の本ははっきりいって読み物だと思います。どちらかと言えばビッグマンの小沢艦隊編の方がずっといい、というか結構いい出来だと思います。ところで「戦史叢書」は一次資料じゃありませんよ。極端なことを言えば「通俗戦史」と五十歩百歩です。鵜呑みにしない事(「この質問に関しては」初めての発言/EOS)


  10. 下で少々けなしましたけど^^;「小沢機動部隊編」は機動部隊の活動以外にも色々と盛り沢山に書いてあって資料価値は非常に高いと思います。(まあ、細かい数値データとかは1冊だけで鵜呑みは禁物ってだけですね)


  11. ニミッツの「太平洋戦史」に当たってみたところ、かなりハッキリしてきました。34部隊が編成されたのは24日ではありません。栗田艦隊迎撃の為の編成を戦闘計画として予定している、との予令の発令が24日なのです。そして結局この目的でこの日には34部隊は編制されていません。ニミッツはハルゼーの「関係各部への予告でしかなかった」との発言を引用して明言しています。結局戦艦部隊6隻の抽出は翌日行われ、機動部隊に突進、砲撃するため(これも明言されています)に前方配置されています。このニミッツの著書は絶版のようですが、光人社の文庫版「レイテ沖海戦」佐藤和正 がこれをネタ本にしていますのでほぼ同様の記述を読むことができます。


  12. さて、問題のビッグマンスペシャルですが、この本の記述もやはり同書からの引用らしい部分が見られ、「予鈴


  13. 予令であったこと、実施されなかったことが、資料の引用、孫引きを繰り返しているうちに抜け落ちたのだと思われます。今日,買って読んだのですが戦記ものの記述のつぎはぎ的な内容が多く、平易でビジュアル重視の編集に好感は持てますが、ライターの質が低いのではないでしょうか。結局ぶっきらぼうな記述でしたが木俣滋郎氏の著書の内容がほぼ正しい(これもニミッツを下敷きにしている訳ですが)、という結論で間違いないと思われます。EOSさん、早まったね。BUN


  14. 更に感想を言わせてもらうと、こういう作業はホント、楽しいですよね。勉強になるし、迂闊に回答なんて書けない(書いちゃうけど)ですね。この場に感謝します。BUN


  15. ふうむ、すると「TF34はいずこにありや」って言うのは、「栗田艦隊を迎撃するために編成されてるはずのTF34が、栗田艦隊が目前に迫っているこの状態で、どこをほっつき歩いてるんじゃい!!」という意味がこめられていたんですね(笑)(N)


  16. で、ニミッツが「TF34を“栗田艦隊迎撃のために編成する”というのはあくまでも予令だったのだ」と書いているのは「だからTF34がその場にいなくてもしょうがない」と、ちょっとハルゼーをかばっているのかな。(N)


  17. するどい。ニミッツ戦記は、まあ、偉い人の回想は普通そうなのかもしれませんが、ハルゼーに好意的に感じられました。敵の栗田の空母への攻撃については「だらしない攻撃」と斬って捨てていますが。BUN


  18. (質問者)BUNさん、ありがとうございました、おかげでこちらも勉強になりました。


  19. なるほどニミッツの著書にはそう書いて有るんですね。ところで念のために書いておくとTF-34が栗田艦隊迎撃の為に編成された書いたのは「ビッグマン」に書いてあったからじゃなくて、私が前からそう思ってたからです。前にそれに関する本を読んだからなのか、状況から勝手にそう思いこんだのかはわかんないんですけど。でもそう考えた方が筋が通るような気がするんですよ。この際本格的に調べてみます。どっちにしろ報告しますね。(自粛なんだけど返事はせにゃなるまい/EOS)


  20. あの、今回は両者の参考資料のネタ本に偶然行き当たっただけのことで、当然、TF34の編成の真相を明らかに出来た訳ではありませんので勇み足は避けたく思います。御指摘の通り戦史叢書も正史として大変尊重していますが誤りも多いと実際思います。BUN


  21. さて調べた結果ですが、確かに24日PM3:12の電報は「戦闘計画」であって後に実際にTF-34が編成されたのとは区別する必要がありそうですね。BUNさんの言うとおりです。問題は、この点をハルゼー自身がはっきりと明言しないままブルランをやった事で、第7艦隊のキンケイドはもちろんニミッツやキングもこの時点では誤解していて、TF-34はサンベルナルディノ海峡に残されていたと思っていたようです(EOS)


  22. それからTF-34は明確に追撃戦の為に空母群の前に前方配置されています。ハルゼーが考えたのは空母機で攻撃をかけて満身創痍になった小沢艦隊に追撃をかけるというものでしたが、TF-38の司令官ミッチャーとその参謀長だったアーレイ・バークは小沢艦隊が囮ではないかと疑っていてTF-34とTFG-38-2を南方に残す事を考えていましたが、ハルゼーの怒りを恐れたミッチャーが握りつぶしています。代わりにこの二人が考えたのはTF-34が高速で接敵して夜襲をかけ、その後TF-38の空母機が黎明攻撃で仕上げをするというハルゼーとは逆のものでした。


  23. ハルゼーのそれが「候補生の頃から夢に見ていた」ものであったのに対して、バークらの作戦は「その方が早くケリがついて艦隊を南に戻せる」という実利的な意味からのものでした(EOS)


  24. 何かと批判の的になるハルゼーですが、第三艦隊の臨時の戦闘計画を第七艦隊のキンケードに報告する義務は無かった様です。また戦闘計画を伝える電文はその後に修正電も発せられていて、この時のレイテでは敵味方共によくあることなのか、第七艦隊は受信できていなかったとのことです。予令を確認することなく盲信したキンケードが愚かだ、とする説も無いわけではありません。BUN


  25. 確かに当時の第3艦隊と第7艦隊の指揮系統の問題、役割分担の不明瞭という問題はありました。ニミッツやスプルーアンスそれからマッカーサーはハルゼーの行動を弁護しましたが、大方の評価は「ハルゼーの重大なミス、勝ったから良かったものの、、」というものでした。栗田提督は「謎の反転」で「臆病」の二文字を日本の史家から贈られましたが、ハルゼーも「ブルラン」で「馬鹿」の二文字をアメリカの史家から贈られてしまいました(EOS)



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