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日本軍はなぜラバウルとガダルカナルの間に飛行場を造ろうとしなかったのでしょうか?
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- ブーゲンビル島の南端ブインに「トリポイル飛行場」というのをを設営しましたよ。あとショートランドに水上機基地がありました。
- たしか作ってたけど間に合わなかった&敵機が邪魔して造れなかったんじゃなかったんでしたっけ?日本軍の設営能力の低さには哀しくなって来ます。P-kun
- 実際にはガダルカナル戦たけなわの10月頃には中間飛行場群が完成しており、初期の台南空のような苦労は一応の解決を見ました。ですから32型等がガダルへ飛べなかった訳ではありません。但し、これらの前進基地は当然敵の戦闘機の行動範囲にも入り、劣勢が明確になった18年半ばを過ぎると事実上使用不能となりました。BUN
- 正確には10月時点で使用可能なのはブカとブインの2ヶ所で、バラレやムンダはガダルカナル撤退が決定する直前の12月になってからの完成で、ムンダに進出した252空の零戦隊はあっと言う間に損耗して1週間で引き上げざるをえなかったそうです。
- 最南端はやっぱりムンダですか?すると最東端はタラワでしょうか?
- BUNさんの補足になりますが、最初は中間地点には飛行場を建設していませんでした。中間地点のブインに建設を開始するのは、17年の秋頃からだったと思います。このころの零戦の主生産タイプは32型で、ガダルまで飛べず、そのために急遽22型が作られたはずです。確か11月頃にブインが完成して、それからようやく32型がガダル戦に投入されたと記憶しています。(ぱんてる)
- 捕捉有り難し!されどブインの工事完了、部隊配備は10月でガダルの総攻撃には間に合っていますよ。またこの頃の月間完成機数では中島での生産が軌道に乗り始め、21型の方が多いくらいです。BUN
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