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67 日露戦争で旅順攻略を行った第三軍の中で歩兵、砲兵、工兵はいそがしく任務をしていましたが、騎兵部隊は何をしていたんですか?まさか要塞に騎乗突撃するわけはないと思うんですか?

  1. 「進め龍騎兵」の例もあるので要塞に騎兵が突入することが無いとは言えないような(^^;。


  2. 騎兵連隊は偵察や伝令、物運び(28センチ砲もひっぱったらしい?)をしたらしいです。第一軍や第二軍の助っ人にいったほうがいいとおもうような感じもしますが・・・・・・(秋田谷)


  3. 日本軍では機関銃というのは騎兵部隊に配備されたそうですが


  4. ↑あの秋山少将が奉天会戦で機関銃を使い活躍したそうな〜〜?


  5. 「機関銃の世界史」という本にも、日露戦争における日本軍の騎兵の立場が触れられています。「自動火器の前に無力な騎兵に出来る事は、歩兵の為にご飯を炊く事ぐらいしかなかった」というような記述があります。またこうした事を本国に連絡したヨーロッパの観戦武官の報告を「田舎の戦争の例」と握り潰した事が、後に第1次大戦の初期に戦線の各地で旅順同様の悲劇をもたらしたのだとも書かれています 。


  6. 「機関銃の社会史」でしたぁー!


  7. 騎兵の話ではありませんが、機関銃の話が出たので、一言。私の父が、昔、近所のお爺さんから聞いたと言って離してくれたのですが、その人は日露戦に従軍していて、突撃命令が出たので、突進したら、周りの人たちが皆伏せるので(実際には機関銃でなぎ倒されていた)自分も伏せたところ、周りの人は皆死んでいるか、足を撃たれてうめいていたと言うことです。当時のロシア軍は突進してくる日本軍の足を狙って撃ったそうです。本当かどうかは判りませんが。そして、機関銃の射撃が止むと、短い手槍を持ったロシア騎兵が乗馬してきて、


  8. ↑続きです。足を撃たれて動けないでいる日本兵に槍でとどめを刺していったと言うことです。その槍の柄の根本にはひもがついていて、手首に結んであり、馬上から槍を投げて、刺した後、ひもを引いて手に戻したそうです。そのお爺さんは、騎兵が来るのを見て戦友の遺体を体に乗せて死んだふりをして助かってから、夜になって脱出、部隊に戻ってそのことを報告し、勲章をもらったと言っていたそうです。当時の日本の歩兵は機関銃の存在を知らされておらず、ロシア軍が太鼓を叩くと人が死ぬと言っていたと言うことです。(ぱんてる)



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