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旧海軍軍人は海上保安庁発足時にどのくらいの割合で入隊したのでしょうか? 将官、左官クラスも例を挙げてくれると助かります。 Yamato |
割合(何2対する何の割合?)は知るところがありませんが、旧海軍士官の
著名なところで海上保安庁入りしている人としては、渡辺安次(海兵51)、
南部伸清(海兵61)などがそうらしいです。
今泉 淳
海上自衛隊に行ってしまった」と書かれていたことがあるので、数は少ないんではないでしょうか?
大塚好古
片
じつは、割合ではなく人数と書こうとしたんです。変な日本語ですみません。
Yamato
なんと言っても、海保の海上警備隊が、海上自衛隊のルーツですからね。
その後に保安庁・警備隊となり、海上自衛隊が発足しています。
江田島組が海自に移ったのは、その後じゃないんですか。
海自の前は、海保が掃海作業を行ってました、これなんかも海軍出身者じゃないと無理でしょう。
ただ、占領中には、「公職追放」と言って、ある階級以上の職業軍人を公職につけないという政策があったはずですので、発足当時(確か昭和23年)の海保には、佐官や、将官の海保採用は困難ではなかったかと考えます。
このあたりは「公職追放」等で調べられてはどうでしょうか。
知り合いの焼き鳥屋さんのお兄さんは、帝国海軍を経て、草創期の海保の入られたそうです。
ご本人も、「海軍の方がメシはうまい。」というお兄さんの話で、海自に入り、護衛艦に乗ってたそうです。(笑)
SAW
http://www.hi-ho.ne.jp/takayoshi/kaijo/3.html
というURLを見つけました。
ただ、海保から分離したのは、保安庁・警備隊(昭和27年8月)であり、その前身の海上保安庁・海上警備隊(昭和27年4月)ではなかったと思ったのですが。
また、海兵出身で、海保、海自、空自、民間パイロット、反戦運動家と歩まれた方の手記の紹介だそうです。
http://www1.jca.apc.org/aml/9809/9577.html
SAW
確執というか、感情のもつれも人員構成に影響したんではなかったでしょうか。
「世界の艦船」にそんな記述が有った様なオボロな記憶がありますが…。
MB
警備隊分離前と後に分けて考える必要があるかもしれませんね。
ただ、20年ほど前の週刊誌記事で、海兵出身の海保士官(巡視船船長か
機関長)を見た記憶がありますし、海保初の女性船長は、旧海軍出身者
から、もやい銃の撃ち方を習ったらしいので、海保に残られた海軍出身者
もいたようです。
SAW
例のスパイ船事件後の「海上保安庁はいかにあるべきか」特集のなかの
吉田昭彦氏の記事で読んだ記憶だったようです。御参考までに。
高等商船学校出身者=予備士官と江田島出身者=職業軍人間の軋轢や
わだかまりは、他にもいろいろ原因があるようで、また勿論、そんな
感情的もつれを持たない方々もみえたことは想像に難くありませんね。
少し質問事項から離れてしまって失敬(汗)。
MB
昭和戦後史「再軍備」の軌跡 読売新聞社戦後史班編 読売新聞社 刊 1981.9.1
昭和23年5月1日発足時 隊員数8156人中 旧海軍軍人 士官約1000人、下士官・兵2000人。
むー