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気になっていたのですが,第二次大戦後のドイツの航空機設計者は一体いずこへ行かれたのでしょうか。 フォン・ブラウン氏がアメリカに行った以外知らないので,特にヴィリー・メッサーシュミット氏の行方とか御存知でしたら教えて下さい。 maNoke |
いまでもMBB(メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム)って会社があるじゃないですか。
クルト・タンクもドイツ国籍のままだったはずですが、アルゼンチンやインドに招かれて飛行機を作ったりしています。
東ドイツに行った大物はハインリヒ・ヘルテルくらいでしょうか。
アメリカに行った人ではデルタ翼のアレグザンダー・リピッシュが有名でしょうか。
ペーネミュンデのロケット屋さんについては、よくわからないのですが、NASAの草創期からアポロ計画の頃までは、周辺会社も含めかなりの数のドイツ人がロケット開発の中枢にいたようですね。
ソ連でも事情は同様だったようです。
その頃のソ連のアネクドートに「米ソの宇宙飛行士が月面で対面! 両者は歩み寄ってしっかりと手を握り、『ああ、やっとドイツ語でしゃべれるね』」というのがあったそうです。
まなかじ
ロシアの方に行ったロケット関連の技術者はロシアの技術者が力をつけてきた時点で本国送還されていたと記憶しています。
アメリカに行った技術者については宇宙開発関連の書物が詳しいでしょう。
ooi
良くわかりました〜。
maNoke