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太平洋戦争中の日本軍の将官の中で、一番最後の人は誰ですか。 S・T |
どういう意味で「最後」なのでしょう?
最後の連合艦隊司令長官?
最後の元帥?
最後の陸軍大臣? もしくは海軍?
それとも…?
てことです。
もう一度練り直してみて下さい。
勝井
「将官」となっているのだから、昭和20年の8月15日以前に将官に昇進したうちで、もっとも遅くに昇進した者は誰か、という質問ではないのかな?
とはいえ、答えられる資料を持っているわけではないのだけれども(ぉ
まなかじ
片
日本海軍将官辞典 ISBN:482950272X
422p 19cm(B6)
芙蓉書房出版 (2000-12-25出版)
福川 秀樹【編著】NDC分類:397.21 販売価:\5,200(税別)
先日出た本ですからゲットしやすいでしょう。でなければ図書館。
チープに済ませるならば、以下の本。
別冊歴史読本
日本海軍将官総覧
立体構成
ISBN:4404027338
新人物往来社 1999/11出版
26cm 193p
NDC分類:397.21 販売価:\2,000(税別)
別冊歴史読本
日本陸軍将官総覧
立体構成
ISBN:4404027389
新人物往来社 2000/02出版
26cm 211p
NDC分類:396.21 販売価:\2,000(税別)
紀伊国屋の検索からペーストしただけのものなので、書式の乱れはご勘弁を(^^;
ごるぴゐ
しょうか。昭和20年9月15日、搭乗機不時着により殉職、任少将です。
けれど、海軍最期の定期進級が昭和20年11月1日だったと思いますので、このとき少将になった人が
いるかもしれませんがざっと見た限りでは、任少将はないようです。
またポツダム進級の規定では、特務、予備士官及び下士官兵が対象で現役将校は含まれておらず、将
官に任官した人はいません。
源五郎
片
と解釈します(「それを知って何のためになるのか」という疑問は残りますが)。また、
例によって海軍に限定します。
広義に「ポツダム進級」とは、戦争終結後から陸海軍が解体するまでの間に進級した者
を指しますが、狭義には進級実役停年、すなわち次の階級に進むために現階級に留まる
べき期間にかかわらず進級した者を指すといわれます。
旧海軍においては、戦争終結後に(広義か狭義かはともかく)将官そのものが進級した
例はいくつかあり、有名なところでは小柳富次(海兵42)、木村昌福(海兵41)、中沢
佑(海兵43)などが少将から中将へ進級しています。この際、「兵科」の少将への進級
はありませんでしたので、その意味では、神重徳(海兵48)は、昭和20年9月15日に
殉職、海軍少将に任じられているのが「最後」と見なすこともできますが、「相当官」
まで広げると、以下の四人の進級者がいますので、厳密には「最後」とは言い切れない
でしょう。
小野 一昭 (大9熊本医専) 昭和20年11月1日 任海軍軍医少将
鴇田 權蔵 (海経7) 昭和20年11月1日 任海軍主計少将
小田垣 恒夫(大8東大法) 昭和20年11月1日 任海軍法務少将
由布 喜久雄(大11東大法) 昭和20年11月1日 任海軍法務少将
さて、これで終わりかと思うとそうは問屋がおろさないところが恐ろしいところで、資
料を見ていると、陸海軍が解体された後に将官に進級している人がいます。
大石 保 (海兵48) 昭和21年2月13日 任海軍少将
本件の法令的根拠を厳密に調べたわけではありませんが、この時点で海軍がなくなってい
たことは事実としても、種々の法令(例えば海軍将校分限令など)が残っていたことは事
実なので、このようなことが起こり得たのだと思います。ちなみに、大石保は死去に伴う
進級のようです。
なお、この種の例がこれ以上無いかに関しては、まだ確証を得るところまで至っていませ
ん。
なお、
>最後の連合艦隊司令長官?
>最後の元帥?
>最後の陸軍大臣? もしくは海軍?
そもそも、「聯合艦隊司令長官」は「職」、「元帥」は「称号」、「大臣」は
厳密には職名ではなく、いずれにしても海軍の官階とは別概念ですので、指摘
として甚だ不適当だと思います。
今泉 淳
としてたようです。
しかし、「大石 保」の件は調べ切れませんでした。海軍解体後は無視してたんですけど、これじゃ
無視もできないですね
源五郎
>http://member.nifty.ne.jp/nishidah/
海軍草創期からの情報が載っており、人なら草創期の兵科、機関科士官から特務士官に軍属まで掲載されているので参考になると思いますのでよろしければどうぞ。
あず吉
将官人事総覧 海軍篇」+「日本海軍史」の「将官履歴」に基づいていると
思われますし、またそれに掲載されいる人全て掲載しているわけでもなん
でも無いので、今回の質問には到底耐えられるものではありません。今確
認しましたら、予備士官、特務士官、下士官兵に至っては、「日本陸海軍
総合事典」で取り上げられている予備士官、兵出身者の全員+α(野村長、
石倉豊)というものでした。
今泉 淳
>小野 一昭 (大9熊本医専) 昭和20年11月1日 任海軍軍医少将
「小田 一昭」の誤りです。
>小田垣 恒夫(大8東大法) 昭和20年11月1日 任海軍法務少将
この人は、「昭和17年11月1日」に主計少将に任じられていました。文献を見るときに
ミスっていました。
したがって、手元の文献で確認できる各科少将への進級者は「相当官から3名」となりま
す。訂正をするとともに、この場を借りてお詫びいたします。
今泉 淳