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沖縄軍参謀の八原大佐は上司より陥落迫る司令部からの脱出を勧められ、その後、捕虜になったとのことですが、当時の軍の通念からして本当にありえたことなのでしょうか? 高級参謀ほどの者が姿を消すという行動が可能であったということは、いったいどんな経緯があったのでしょうか? Yu |
光人社「沖縄 悲遇の作戦」(稲垣武著)によれば、
大本営 八原高級参謀 三宅、長野参謀
遊撃戦の展開 木村、薬丸参謀
となっております。これは牛島司令官の命令であり、沖縄では最後の切り込みを認めなかったため司令部要員全員が自決する必要性が必ずしも無かったものと解釈しております。
また、戦訓の後方への伝達であれば複数例があるようで、ペリリューでは将校が遠泳で師団司令部に辿り着いたようです。
ペンギン
Yu
BUN
ます。
戦史叢書や氏が著した「沖縄かくて潰滅す」という本にその辺の事情が載っています、出勤前に捜したんですが、、出てこない・・・
tackow
以前実際に脱出した船を操作した元漁師?がテレビ番組で証言していましたが
その話によると沖縄伝統の極小さな舟に乗って脱出、本土までの途上、米軍に見つかりそうになると船を転覆させてやりすごしたそうです。
又、御質問の件ですが、沖縄戦の情報を以降の戦闘に利用するために少数の人間を沖縄から本土に脱出させる。というのは当時の軍の考えとしては極当然の事のように思われます。
カニ光線
第三二軍司令部の参謀で生還したのは、八原高級参謀と神航空参謀の2名のみです。ただし、八原氏と神氏は同時に脱出したのではなく、
神直道 航空参謀 5月10日付 牛島司令官名で本土へ派遣
航空作戦の連絡と戦訓伝達のため
八原博通 高級参謀 牛島、長将軍の自決を見届けた後に、戦訓伝達のため脱出
でした。
八原氏が往々に卑怯者扱いされたのは、二回の攻勢に消極的だったこと、難民にまぎれて沖縄北部へ脱出しようとしたとき捕虜になったため、の2点があるとおもわれます。(持久作戦のため飛行場を放棄したため、先に本土に行った神参謀と対立していたような話もあります)
ちなみに漁師の件ですが、クリ舟を徴用して奄美まで辿り着いたものを指すと思います。(沖縄での戦災保証、恩給(?)の該当には、クリ舟を使っての軍人の輸送の支援、の項目があったように思います/沖縄タイムス「鉄の暴風」)
ペンギン