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何故に神たる天皇陛下はさっさと白旗振らんとあそこまで動かなかったのですか? 紅葉饅頭 |
これに関しては、第2次大戦後、現在に至るまで天皇の戦争責任をめぐる議論があるが、簡単に言ってしまえば、連合軍に降伏した場合、先方が日本の国体(天皇制のこと)の存続を認めてくれるのかどうか、よくわからず、徹底抗戦を続けざるを得なかったという事情がある。日本は戦局が不利になる中で、艦隊決戦である程度アメリカに打撃を与え、向こうも戦争を止めたくなった状態で、こちらになるべく有利な条件で戦争を終結させようと考えていた。
しかし、そのように事はうまく進まず、ジリ貧になる中でソ連などの第3国を通じた和平工作もやってみるものの中々進展せず、そして、45年8月9日、ソ連が満州に侵攻したとき(長崎原爆と同日)、連合軍に降伏するか、それとも本土決戦覚悟で徹底抗戦を続けるか、究極の選択を迫られた。最大の問題は国体の護持だったが、外交ルートを通して連合国の真意をさぐった結果、天皇制否定までは考えていないことがわかり、結局、8月15日、天皇の聖断により、日本軍の連合軍に対する無条件降伏と戦争終結を決定した。(「無条件降伏」というのは日本という国家が完全に無条件で連合国に全面降伏したという意味ではない)
この戦争末期の一週間は、降伏に傾く政府や軍首脳に対し、それを許せない近衛師団の軍人がクーデターを画策したとかいうこともあった。また、当のアメリカの対日観も、戦争当初から日本天皇制=ナチスで徹底壊滅という考え方を取っていたのが、よく調べてみるとそうとも言えないと気づき、ポツダム宣言の頃になって天皇制存続に方針転換したわけ。非常にはしょったが、大体、こんなところか。
それから、天皇は現人神とされていたが、独裁者ではなかった。当時、天皇も入って国家の最高決定を行う御前会議というものがあったが、天皇がリーダーシップを取った、独裁的に運営したわけではない。内閣、軍、元老らの合議制の会議であり、ただ、8月15日の戦争終結の決定は天皇の聖断でないと収まりがつかなかった。
アリエフ
紅葉饅頭
ブラック・タロン
片
ツカドン
天皇が戦争継続を拒否したら退位させ、その弟を天皇にしようと計画していたとか。それでも暗殺はあり得ないでしょうね。
近衛師団にいた爺様は宮城事件前後も変わらぬ生活だったそうです。理由は「馬の世話は何があっても手を抜けない」からだとか。
ふじい
片
アメリカも手を焼いたんでしょうが、こういうやり方で抗戦継続ってのは・・・
aaa
片
ともあれ、このため和平派が公然と和平工作を行い得ず、陸軍主戦派が支持を失ってからも明確な和平方針を国家指導部として確立できなかった側面があります。さらに天皇を中心とした保守穏健層の維持(つまり国体護持)の確証を得るまで2ヶ月、時間を費やすことになります。
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