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ヒトラーの母クララの医師だった人物はユダヤ人であったのにもかかわらずヒトラーに殺されなかったと聞きます。(恐らくこの医師に恩があったため) 彼は後に「ヒトラーほど母の死に悲しんだ人物はいなかった」と言っています。 その医師の名前と生没年がわかる人がいたら教えて下さい。 ぱるぱる |
彼はヒトラー家のホームドクターで、ヒトラーを小児精神科病院に送るようにと
いう診断を下し、ドイツ軍が1938年にウィーンに侵攻した際、ヒトラーの指示に
よりスイスに逃げることを認められています。
生没年は残念ながらわかりません。
しかし、自分を精神異常だと診断した医師(しかもユダヤ人)を生かしておくな
んて、案外いいやつかも?(ぉぃ
某A
生没年は判りませんが、このときの自己紹介で南ボヘミアのフラウエンブルクの生まれで、もとオーストリア陸軍軍医、現在 60 歳であると語っています。すなわち生年は 1880 年頃、現在も存命でしたら 120 歳くらいとなります。
インタビューでは、博士とヒトラー母子との交流が語られています。その話においてはアドルフ個人や家庭環境について、エキセントリックな部分は見られません。某 A さんの紹介されている「小児精神科病院に送るようにという診断を下し」については、確認できませんでした。
さて、ぱるぱるさんの触れて居られる恩義について、インタビューに言及があります。・・・博士は経済面をはじめ母子に対し何かと便宜を図っていました。母親の死に際してアドルフの見せた悲しみのさまを博士が「私の経歴の中でアドルフ・ヒトラーほど悲しみに打ちひしがれた人を見たことがない」と語っていることもご指摘の通りです。
母親の死後、青年アドルフは博士の尽力に対し「永遠に感謝する」と語りました。ブロッホ博士も、「彼は約束を守った。私の受けた優遇は、オーストリアおよび全ドイツのどのユダヤ人にも適用されなかったものであろうと確信している」と語っています。ドイツがオーストリア進駐を行ったさいには、ベルリンの指示により博士のオフィスは「黄色い星」が外され、退去も強いられませんでした。
一方ヒトラーは 1937 年、ベルヒスガーデンの山荘で「ブロッホ博士は気高いユダヤ人だ。全てのユダヤ人が彼のようであれば、ユダヤ人問題は存在しなかったろう」と語っています。
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