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水雷戦の大家で操艦の名人であり用兵の達人だったという 木村昌福少将の戦果をおしえてくだいさい キスカ撤収作戦の話しか知らないので・・・ 富嶽 |
こんなもんでどうでしょう。
キスカ以外で特筆すべきはミンドロ島突入作戦(礼号作戦)ですね。
木村一水戦は、レイテで失敗した、フィリピンへの突入作戦を成功させてます。軍令部や南西方面艦隊司令部の判断自体が間違ってたので、結局は空振りに終わってしまいましたが。ああ、恐ろしい恐ろしい。
そうそう、恐ろしいといえば、この人、三水戦司令、一水戦司令、二水戦司令を歴任しています。
たぶん、かなり異例なことなのではないでしょうか。
FIX
BUN
それからミスの訂正。礼号作戦は一水戦じゃなくて二水戦だった。
FIX
>たぶん、かなり異例なことなのではないでしょうか。
きちんとデータを採ったわけではないですが、水雷戦隊の司令官を三度(と
いうか、別所轄で三回の水雷戦隊司令官)というのはやや珍しいかもしれま
せん。私の記憶の中で言えば、航海学校校長を中に挟んで第十戦隊司令官
を二回やっている木村進(海兵41)位しかこれに匹敵する例を思い浮かべる
ことはできません。もっとも、第十戦隊は厳密には水雷戦隊ではないです
けどね。ただし、
>一水戦じゃなくて二水戦だった。
礼号作戦の直前に、一水戦司令官から二水戦司令官に横滑りしていますが、
実態は一水戦の名前を二水戦に架け替えただけ(司令部職員も形式的に転勤
命令が出ているけど、顔ぶれは変化なしのはず)ですので、実質的には同一
戦隊の司令官とみなしても良いのかもしれません。
今泉 淳
旧海軍では「司令」と「司令官」という
別個の職位があったのでしょうか?
satoski
書きます。諸々の事情があり、厳密には書き得ませんので、ご了承下さ
い。
「旧海軍」を「旧日本海軍」に限定して書きますと、軍艦の艦長相当
の指揮官以上の部隊指揮官には、「司令」「司令官」「司令長官」な
どがあり、「司令」は駆逐隊、潜水隊、航空隊、陸戦隊、通信隊等、
「司令官」は、戦隊(水雷、航空、潜水等の戦隊を含む)、根拠地隊、
連合航空隊、聯合陸戦隊、聯合通信隊、要港部等、「司令長官」は、
艦隊、鎮守府等の部隊指揮官と認識しておけば、それほど間違いはな
いと思います。
「それほど間違いはない」の意図は、各級指揮官(あるいはそれが長
たる部隊)を全部網羅して列挙できていないという事実と、たとえば
時期によっては、「航空隊」に「司令官」が置かれたり(昭和19年の
一時期の横須賀航空隊や末期の乙航空隊)、「警備隊」には「司令ま
たは司令官を置く」のごとき規定があったり、また練習艦隊等は「司
令官」だったりするので、必ずしも上記のように一様ではないからです。
今泉 淳
今泉 淳
今泉 淳