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連合艦隊司令長官の一人豊田副武の敗戦後の行方 は、どうなったのでしょうか? 富嶽
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- 終戦後も生き、昭和三十二年に逝去されたとのことです。
みよっさん
- 何故死刑にならなかったのですか?
富嶽
- 逆におうかがいします。
彼のどの行為をもって
死刑に相当すると思われたのですか?
勝井
- この人は終戦時、軍令部所属(総長だったっけ)で職を終えた人らしいです。確か、この人の次の(最後の)連合艦隊司令長官は小沢治三郎だったと思いますんで、終戦時のポストのからみだったんでしょうか。
今、会社からなもんで資料が参照できないのでまた帰って調べてきます。
みよっさん
- すいません。理由が抜けていました>
たしか、戦前は、三国同盟反対、日米避戦を主張していましたが、
開戦後は徹底抗戦を主張していましたし、連合艦隊司令長官、軍令部総長と
中枢ポストを歴任していたため、戦争責任が、重いと思ったからです。
富嶽
- 彼はA級戦犯容疑者として逮捕されてはいます。起訴されてはいませんが。A級戦犯として起訴された人は平和に対する罪に関係があったとされる人達です、一応。(それに加えて各国の政治的思惑等が絡みまくってますが……。)開戦後のことに関しては、捕虜虐待に関係ない限り大丈夫であったと思います。平和に対する罪は岡敬純中将(開戦時、海軍省軍務局長。判決、終身禁固刑。)、永野修身元帥(軍令部総長。公判中に病没。)、嶋田繁太郎大将(海軍大臣、終身禁固刑。)の三人が出ていますし。
tomo
- 一つ訂正です。彼は収監はされましたが、無罪判決が出たとのことです。
tomo
- >5.開戦後の抗戦主張は軍人として当然の態度です。
少なくとも、これをもって戦犯と断ずるのは可哀想でしょう。
勝井
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