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世界ではじめて水上機を飛ばしたアンリ・ファーブルという人物はあの 「ファーブル昆虫記」を著した人と同じ人なんでしょうか? 飛行機好き |
- ファーブル昆虫記の愛読者の一人です。
この本の著者、ジャン・アンリ・ファーブルは(記憶モードですが)大変長生きしましたがそれでも第一次世界大戦中に亡くなっています。ライト兄弟の初飛行の時すでに80歳過ぎていたはずです。また、昆虫記の周辺の書物で彼が飛行機乗りだったという記述を読んだ事がありません。従って、状況証拠から昆虫記の著者ではないと思います。
SHI
- その後調べてみたら、あの有名な昆虫記が出たのはちょうどこの機体が飛んだ
ころのことでした。ファーブルは他の科学分野にも関心があったという話を聞い
たことがあるので「もしかしたら」と思ったのですが、昆虫記を出版しつつ水上
機を計画して飛ばす、というのはとても無理そうです。ご解答、ありがとうござ
いました。
質問者
- 別人だそうです。
まなかじ
- ファーブルという人は「清貧」という言葉を地で行くような人物でした。飛行機を作るほどのお金があれば、フンコロガシ研究のため家畜のフン集めに苦労したりはしなかったでしょう。
ささき(元・昆虫少年)
- Ultimate Aircraft/Dorling Kindersey社という絵本の巻末にAviation Innovatorsという人物解説があり、ここにHenri Fabreの事が載っていました。1882年生まれ、(昆虫記のファーブルより50歳位年下)
1905年から航空機の研究を始め、1909年に最初の水上機を制作するも、これは飛行せず。最新型のグノーム7気筒ローターリーエンジン搭載の二号機が1910年3月28日に離水に成功、パイロットはアンリ・ファーブル自身、彼はそれまで飛んだ事がなくこれは彼にとっても初飛行。しかし、1911年先尾翼の一号機の改良中熱病に侵され、水上機設計制作のエンジニアとしてもパイロットとしても将来を絶たれました。しかしながらその後も水上機のフロートの設計は続け、彼の設計になるフロートは多くの水上機のフロートに使われました。亡くなったのは1984年。
水上機というジャンルに彗星のように現れ、一瞬、輝やた人ですね。
極貧の中でひたすら地味な研究を続け、80歳過ぎてから世に認められて有名人になった昆虫記のジャン・アンリ・ファーブルとは正反対の人生。
SHI
- 皆さん、どうもありがとうございました。これで長年の胸のつかえが下り
ました。どんな航空年表の中でも一行ぐらいでしか紹介されていないこの
アンリ・ファーブルという人物が実は結構波瀾の人生を歩んでいたという事が
よくわかりました。
重ねて、どうもありがとうございました。
質問者