QQCCMMVVGGTT
133 1945年1月1日にアルザス地方で攻勢が開始された独G軍集団の規模はどれくらいだったのでしょうか?
モーデル元帥

  1. 今アルザス戦史を研究中なので明快な回答がまだ出来ないのですが概略。
    一口にアルザスと言ってもボージュ山脈からライン川まで、北はザールブリュッケンに接し、南はスイスのバーゼルに接し、東西50キロ、南北150キロのなかなか広い地域です。まずこのドイツ軍攻勢の前に、1944年11月から連合軍(米第7軍、仏第1軍)はフランス東北部を進撃し、アルザスを北はストラスブールの線、南はミュールーズの線でライン川まで到達し、アルザスのドイツ軍はコルマールのポケットと呼ばれる地域に半包囲状態になります。連合軍の進撃は1944年12月19日にライン川左岸で停止しますが、それより前、ご存知の12月15日、アルデンヌでドイツ軍が大攻勢に出ます。このためアルザスを担当する米第7軍はパットンの第3軍援助の為に戦力を元々第3軍の担当地域であるザールブリュッケン方面にも展開せざるをえなくなり、北向きの戦線だけでも100キロ近い手薄の状態になります。1945年1月1日のドイツ軍攻勢はこの伸び過ぎた戦線の東半分、因縁の古戦場Haguenau(アグノー)の森辺りで開始されます。当初連合軍はこの森あたりから要塞の町ビッチェ(今でもマジノ線の一部が完全な形で保存されガイドツアー付きで公開されています)付近まで後退、せっかく占領したストラスブールは放棄、コルマールのポケットの半包囲を北で解いてラインラントからの攻勢軍をアルザスに入れてしまうのもやむなしという判断をしますが、そのあとすったもんだして結局ストラスブールを放棄せず、コルマールのポケットも解かず、1月23日にストラスブールの北15キロ、コルマールのポケットからの進撃は南20キロでこの攻勢を止めるのに成功します。手持ち資料の中に編成表がなく、強化されたドイツ軍としか判りませんが北から攻勢をかけたのは戦闘推移の記述を追うと機甲師団3個、歩兵師団5個くらいのようです。この攻勢の阻止の勢いに乗って連合軍はコルマールのポケットへの攻勢を開始、2月4日にはポケット中心の都市コルマールを解放、2月9日には最後のドイツ兵がライン川を渡り、アルザスはフランスの手に戻されます。コルマールは戦闘の中心にありながら砲爆撃による破壊を免れ、今でも17世紀の三十年戦争からの再建という町並みを残しています。1995年2月4日の解放50年パレードにはフランス第5D、米第28Dのベテランが参加し色を添えました。
    SHI


Back