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110  あの“軍神”廣瀬中佐は、実際の所軍人としての資質というか、能力はどのくらいだったんでしょうか。
 常識的に考えると、ひとりの部下を捜すために指揮官としての持ち場を離れて単独で探しに戻ってしまったり、閉塞船からの離脱を遅らせた結果他の部下を危険にさらしたりするのは、あまり誉められたことではないんではと思うんですけど……。
深度測定長

  1. 全然答えになっていませんが、司馬遼太郎氏の随筆「ある運命について」では「広瀬という男はそれ自身が一つの詩であった」というような描き方をされていました。彼は旅順封鎖が成功したら露軍に単身乗り込んで停戦交渉をする、という話も上官に打ち明けていたようです。兵の命を冷徹なORで損耗率として計算したり、杓子定規なお役所組織(軍隊とは巨大なお役所です)には馴染まないタイプの人間だったのだろうと推測しますが…。
    ささき

  2. 「オレについてこい」的な、中級指揮官にはぴったりだったようですが、
    あれ以上昇進してたらかなり困った将軍になってたかもしれませんね。
    いや第1次大戦までは戦場の浪漫ってやつが生きてたから、
    そこまでなら名指揮官でいられたかもしれません。
    勝井


  3. あ、済みません、本題じゃないですが、ちょっと気になったもんで。

    >兵の命を冷徹なORで損耗率として計算したり

    この「OR」ってのは、”Operations Research”のことですか?
    今泉 淳

  4.  どうもありがとうございました。廣瀬中佐は結構好きでいろいろ調べてみたりもしてるんですが、知れば知るほど「実はこの人が軍人になったのは間違いだったんじゃなかろうか」という気が……(爆)。
     もしかすると、文学者とかのほうが向いていたんではと個人的には思ったりするんですが……。

    深度測定長

  5. >3
    あ、そうですオペレーションズ・リサーチという意味だったのですが用語の誤用でしたでしょうか?(^^;)要するに「二人の兵隊を助けるために一人の兵隊を見殺しにするか、二人を危険に晒してでも一人を助けるか」という意味で使ったのですが。「杉野はいずこ」のエピソードで知られるように、広瀬中佐には軍人の必要悪としての冷徹さに染まりきれなかったのではないかと思うのです。
    ささき

  6. ↑いえ、誤用というわけではないのですが、私は一つの看板が「生産管理」
    なんですが、元々の看板が「オペレーションズ・リサーチ」でして、大学
    も大学院も、そんなことを研究テーマにしていたもんで(今もOR学会会員
    です)。で、その経験から言えば、ORそのものがが冷徹なわけでは必ずしも
    ないと思うので、おそらく1における発言は、「人の生死を数字に置き換
    える」という意味でORを例に挙げられたのかと思っています。

    元々ORってのは、「モデル化」が前提ですので、元がなんであれモデル化
    されてからは数字、数式、数学の世界と言っても過言ではないのですが、
    その対象は単純に損耗率に限られるものではないと思うのです(といっても、
    Blackettとかの著作を読んだわけではないですが)。

    ってことで、「OR屋の一人」として、ちょっと気になった、って程度なん
    です。
    今泉 淳


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