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日露戦争後(または中)乃木大将は旅順攻略の際の損害について責任を追及されたりはしなかったのでしょうか?また当時将官クラスの人が判断ミスの責任をとった(何らかの形で)という例はあるのでしょうか? マナ |
「戦途中に軍司令官を更迭するのは敵の喧伝となるだけ」と一喝されて終わったと言う話がありますね。
事実かどうか私には判断できるほど資料がありませんが、無能なトップが責任をとらないで済む日本組織の
体質の根源はここにあるのではないか、と勘ぐりたくなりますね。
なお、日露戦争後は乃木将軍は半分軍神扱いですから責任を取るなどという事はあり得ませんです(ーー;。
大塚好古
BUN
確かにあの愚劣な作戦を立てたのは伊知地参謀長以下の参謀部ですが、軍司令官は部隊最高指揮官として責任を取る
立場に会ったと思います。逆に旅順でこれを事なかれで済ませた結果が後年のインパールにおける南方軍と第15軍の
無責任節になったのだと思う次第であります。あくまで、私観としてですが。
大塚好古
乃木大将の責任についてですが、果たして百年前の軍司令官に(慈悲、という徳としてではなく)兵士の損害に対して兵士達そのものに責任を取るという考え方があったのか、ということ、また、旅順戦は最終的には目的を達しており軍人としての任務は全うしていること、更に、牟田口中将等と異なり、決して無批判に受け入れられた訳ではないことを考慮すべきです。
加えて当時の常識でも自分の息子達を同じ戦場で失った乃木大将は道義的追求を受ける立場には無かったと考えられます。
乃木大将は任務途中の更迭を明治天皇から特に許されたことへの恩義により明治天皇に殉じたのではないかと思いますが、恐らく乃木大将自身としては自決の時期が猶予されているに過ぎないとの認識を持っていたのではないでしょうか。もちろん彼が恥じていたのは陛下の兵を損じた罪なのですが。
BUN
kazu
総入替になっています。
乃木は西南戦争では軍旗を取られるミスを犯したり
台湾総督時代でも巧く執政出来ずに終わっていたりします。
当時の評価は人格者だが作戦に於ける柔軟さが足りない
と有った・・と言う本を昔 児玉源太郎関係の本で読んだ気がする。
カバノフ中尉