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戦後の人々の生活はどうだったのでしょう。 松本 和也
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- 本屋に行ってアメリカの占領下にあった頃の写真集を見てみたら。あと、「竹の子生活」「引き揚げ」「闇市」と入れてインターネットを検索してみるとか。
アリエフ
- 金銭さえ出せば物が購入できる
戦争中よりも楽だったと祖母は語ってます
SUDO
- 祖父母に聞いた話では(実家は農家)町の人が服とかを持って作物と交換してもらいに来ていたそうですが、反面野菜ドロも多かったそうで見張り小屋をつくってうちの父(昭和20年生まれ)と見張っていたそうです。
あず吉
- 思いつくままキーワードを上げてみるので検索してみて下さい。
進駐軍、ギブ・ミー・チョコレート、焼け跡、カストリ、買出し列車、米よこせデモ、新円切替、戦後改革、農地解放、青空教室、墨塗り教科書、公職追放、レッドパージ、DDT、貧乏人は麦を食え、傾斜生産方式、朝鮮特需、もう戦後ではない
アリエフ
- 焼け跡、闇市といった画一的なイメージが強くありますが、立場、地域の違いが非常に大きくあります。「芋なんて食べたこともない」という人々も多くいましたし、戦災に遭わなかった地方では戦争そのものに実感が無い、といったこともあります。
BUN
- ↑確かに。同じ日本でも都市部と農村部ではだいぶ事情が違ったようです。私の母は当時小学生でしたが、今でも農家のことを嫌っております。あと米屋も。
つまりは農村部では戦争による直接的な被害は少なく、食料も豊富であり、それ故に大きな顔ができたという事らしいです。
itou
- 御指摘の通り地域差がかなりあるので、近くの図書館で郷土の歴史を調べてみるのもいいと思います。ところで買出し列車と言えば、八高線の多摩川鉄橋で買出し客を満載した列車が転覆し、多くの人が死んだ痛ましい事故が起こったりしています。
アリエフ
- ウチの祖母曰く「戦争中は配給があっただけ良かった,でも戦後は僅かな量の配給すらこなくなった。」だそうです。
ですが,まぁこれは被爆後の混乱でそれどころじゃなかったって事なのかもしれませんが。。
海野土左衛門
- 取り敢えず手軽に、戦前、戦中、戦後の風俗を知りたいのなら、作家の永井荷風氏が付けていた日記の抄録が「断腸亭日乗」として文庫で出ているのでお買い求めなさって下さい。唯、ちょっと文体が格調高すぎるんだよね。
無頼庵
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